あの頃の年末年始の東京は場所によっては本当に静かでした。勤務先には直営の保養所が、六甲山や奥飛騨温泉郷などにありよく利用しました。提携ホテルなどもあり、伊勢・志摩、浜名湖、八ヶ岳、長野松代、富山砺波、山中温泉、滋賀長浜、有馬温泉、熱海・熱川など、懐かしい思い出ばかりです。

妻の実家の佐渡島にも毎年のように帰省していました。子どもたちだけでお世話になったこともあります。こうして記憶力テストのように思い出しているとそれぞれ、その時々の映像が浮かんできます。

家族で旅行に出かけることができたのも、子どもたちが中学生頃まででした。まず長男が部活や友達との遊び優先で一緒に出掛けなくなり、他の子も後に続きます。

家族が一緒に暮らす期間は、ほんの僅かなんだと気づいたのもこの頃です。私にとって家族は、未来永劫一緒だと思っていましたが、普通に考えればそんなはずはありません。一緒に過ごす日常生活から一人ひとり離れていき、いつか思い出の彼方に消えていく、そしてそれが当たり前のことだと気づかされました。

家族みんなで旅行できるほんの僅かな時期に、それが出来て本当に良かったです。家族全員旅行好きが続いているのも、きっと、そのことが影響しているでしょう。旅行に関わらず大切な思い出は、それを残さなければいけない時があると思います。

子育てに手がかからなくなる頃から、妻もまた働き始めました。飲食店始め漬物屋などでパートとして働き、自分の時間が増えてくるようになると、老人介護施設や障害者就労支援介護サービス施設の職員になりました。大学で学んだことを、少しでも生かしたかったのだと思います。

妻はフルタイムで働くようになると、家事との両立が大変になりました。それを知りながら夫として協力したか問われると、全く答える言葉がありません。近頃は夫婦で家事分担するのが常識ですが、私は当時でもたぶん許されない夫でした。