第2章 私が知っている妻のこと
二人が出会うまでの妻
それでも進学の希望が強く名古屋の福祉系大学を受験し、そこで4年間過ごすことになりました。
引っ越しには、父親がついてきてくれたと懐かしそうに話していた表情が忘れられません。妻の父親はその頃水産会社で働いていて、妻が大学の頃は釧路に仕事場がありました。学生の頃に一度遊びに出かけたことがあると、その思い出話は何度も聞かされました。
親子水入らずの釧路の思い出を、妻は今も大切にしています。母親は気丈な女性でしたが、晩年は病気がちで入院暮らしが続きました。
思えば私は、妻の父母への親孝行らしきことは何一つできませんでした。最期の姿は両親共に病院での見舞でした。言葉はなくとも「娘を頼む」という両親の声は、しっかり受け止めたような気がしています。
しかし、その約束は未だ果たしたとはとても言い切れません。
出会い 学生時代
最初に妻に出会ったのは私の記憶では、学生の頃、私が唯一人並みに活動していたサークル活動でした。