その後こちらに移り住んできて1年ほどは、医療、介護、障害者福祉のどの対象にもなりませんでした。自主トレではありませんが、自宅付近や近所の公園などを歩いて体力が失われないように心がけていました。

そんなある日、補装具の一部が壊れてしまい脊髄梗塞の経過観察で通っていた病院に相談したら、そこに入っている装具業者の方を紹介されました。

連絡するとすぐに我が家まで来てくださって、応急処置をして相談にも乗ってもらいました。そのうえ、「リハビリについても希望があるなら諦めずに探してみたらどうですか」と助言してくださいました。

妻の病気の経過観察ができる脳神経内科は居住地の病院にはなかったので、近隣の伊那中央病院を受診していました。しかし、リハビリは近くのほうが何かと都合がいいということで、地元の昭和伊南総合病院に連絡を取ってくださいました。思いもかけない道が開かれました。

そこのリハビリ科の医師や理学療法士は、患者の気持ちをくんでそれに合わせた計画を検討し運動療法を進めています。機能が回復すればいいということではなく、何のためにどんな生活がしたいということが最初にあり、そのためにどういうリハビリをしたらいいかという話し合いをとても重視しています。

妻もとても信頼して通院が楽しみなほどです。医療としてのリハビリをあきらめていた私たちとしては、それが再開でき生活まで支えてもらっていることに感謝しかありません。

そんな妻のリハビリの頑張りを見ていて、私もジョギングや体操を始めました。信州は多くの自治体でマラソン大会を開催しています。まずは、地元のハーフマラソンを目標にトレーニングを始めました。

妻の応援もあって5キロの部に参加しました。

【前回の記事を読む】妻が車椅子生活になった。それでも私たちは、以前よりも多く遊びに出かけるようになり、旅行も不自由なく楽しんだ。

次回更新は9月7日(土)、21時の予定です。

 

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