第1章 試行錯誤の毎日─リハビリ・介護生活から現在まで─

家族でずっと暮らした場所を後にして 

最近はどこにいても私たちのいるところが実家だとみんな思ってくれています。子どもたちも自分の家族を持ち、そこが彼らのかけがえのない実家になっていくのだろうと思えば何となく落ち着きます。

引っ越すまでの数か月は、ダイニングをパーテーションで区切った一角に妻のベッドを置きました。そこがトイレにもっとも近かったからです。

脊髄梗塞になり下半身に障害が残ったということは、歩けなくなったということだけにとどまらず下半身全体の神経組織がダメージを受けたということでした。

両足の皮膚感覚も弱くなってしまいました。熱いとか冷たいとかが曖昧のようです。皮膚を擦(さす)ると紙やすりで撫でられたような気持ち悪さがあると話してくれたこともあります。尿意や便意もほとんど感じないようです。

時間を見て、定期的にトイレに行くことが欠かせません。そのためトイレは、なるべく行きやすいところがいいのです。とにかく自分で思うように動き回ることができないということは、精神的にも本当に辛そうです。

冬の寒さが少し和らいだ頃から、二人で近くの公園に出かけ、歩く時間を持つようにしました。退院前に病院のリハビリで、私も一緒にマスターした歩行訓練を兼ねて気分転換の外出です。前腕部まであるロフストランド杖を右手に、左手は私が支えながら手を引いて歩きます。

これまで手を繋いで歩くということは、ほとんどなかった私たちでした。何だか照れくさいのと、嬉しさが入り混じった妙な気持ちでした。

リハビリの専門家なら心得ているのでしょうが、補助して歩くというのは私には至難の業でした。お互い動きがチグハグで、二人ともぎこちない歩き方をしていたと思います。私より妻のほうが、もっとストレスだったはずです。何度も転倒させてしまいました。

時には私のミスに自分自身素直になれず、妻を責める言葉を投げつけたこともありました。自分の時間を犠牲にしてリハビリにつき合っているのだから、あれこれ言う前に感謝してもらいたいという身勝手な思い上がりが強かったのです。さらにそんな状況に落ち込むと不機嫌な状態をコントロールできず、そのことにまたイライラしていました。