東海道線直通上野東京方面行き。九時ジャストの電車に乗った。グリーン車は想像以上に混雑しており、相席で何とか座れた。

窓の外を見る。関東平野に民家が連なっている。これが埼玉だ。私の生活圏だ。この片隅でママちゃんと二人で暮らしているのだ。静かな車内でここ最近のことを思う。

私は三か月前まで特別養護老人ホームで働いていた。老人のお世話をする仕事だ。それは、不思議な世界だった。老人は正直であり、頑固であり、思い込みが激しく、そして愛されるべき存在だった。そしてその人々を相手にするのはなかなか難しい。

仕事で老人を相手にし、家に帰りママちゃんを相手にして時間が過ぎていくと、自分の感覚がおかしくなっていくような気がした。その生活を九年続け、五十歳目前になった時、私はあと十年この生活を続けられるのであろうかという疑問が湧き起こってしまった。

一度気持ちが立ち止まってしまうと、同じ場所で前に進めなくなってしまう。その結果、辞めることを選択した。だから今は仕事をしていない。

この就職難に、と思った同僚も少なからずいただろうが、先の心配をする以上に私は「今」自分の時間が欲しかった。お金は必要だが、時間というものがとても貴重に思えてしまったのだ。

私が私に戻る時間。何も考えず働いてきた期間に対しての疑問。走り続けられなかった。この九年、これから十年。もちろんママちゃんのこともあった。

【前回の記事を読む】母の言う、「一生一緒にいようね。」という言葉に、私は頷けなくなっていた。

次回更新は8月15日(木)、16時の予定です。

 

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