3.結論

3-1 頸肩腕障害

筆者自身(2018)(注1)は、「頸肩腕障害」について、以下のように考えている。

頸肩腕障害は、手話通訳者の職業病で、文字通り、頸・肩・腕が痛み、精神的に影響が出る場合も見受けられる障害である。日本の手話通訳者の中で最初に確認された患者が北海道在住だったため、寒い地域特有の問題と考えられがちだったが、滋賀県でも患者が確認されたことから、一気に全国区の問題として、注目を集めるようになった。

今でこそ、15~20分交代で手話通訳が行われるのが当然となっているが、まだ頸肩腕障害について知れ渡っていなかった頃は、一人で長時間の手話通訳を担当できてこそ、技術的にすぐれた手話通訳者だと誤解されていた。全国手話通訳問題研究会等による運動が功を奏し、罹患した手話通訳者達が次々と労災認定を勝ち取っていったが、労災認定を勝ち取ること=リカバリーでもなければ、根本的な問題解決でもない。

手話通訳者達に頸肩腕検診が義務づけられるようになり、頸肩腕障害の早期発見が進んだものの、特に手話通訳者が少ない地域では、頸肩腕障害に罹患しているにもかかわらず、「自分が休んだら、地域の手話通訳制度が成り立たない。」と、休職を渋る手話通訳者が見受けられるのも事実である。

専門医によると、頸肩腕障害は、「手話通訳をやめなさい。」というレベルと、「手話をやめなさい。」というレベルに分けられるとのことである。前者のレベルなら、仕事として手話通訳ができなくなっても、ろう者の友人と手話で話す等の交流はできる。しかしながら、後者のレベルだと、家族にろう者がいても、手話で話すことができなくなり、それまでに培った人間関係が切れてしまう。後者のレベルになる前に、罹患した手話通訳者を休職させようと、頸肩腕検診が実施されている。

それだけでなく、手話通訳者の健康を守る取り組みが、全国各地でなされている。だが、手話通訳者の健康を守る取り組みは、同じような立場の人による、いわゆるピアサポートが中心なので、それが一般社会にこの問題が広がっていかない要因の一つとなっている。

仲間同士の支え合いと言えば、聞こえは良いが、結局は、「手話通訳者のことは、手話通訳者に任せておけばいい。」ということになってしまい、手話サークルに入っていても、頸肩腕障害に関心を持つ人は少ない。「年を取ったら、皆、病気になる。手話通訳者だけが特別ではない。」と言われることも、決して珍しくはない。「好きでそんな仕事を選んだ人が悪い。」の一言で済まされてしまったりもする。

障害者をサポートする者が病に倒れるのは、障害者の社会参加の後退であり、なおかつ、障害者福祉の後退だが、それに気づいている人は限られている。

手話通訳者が頸肩腕障害に罹患しても、リハビリ施設が十分でなければ、リワークプログラムも実施されていない。専門医は、「手話通訳者を増やすしか、対処法はない。」と述べているが、現状ではその通りと言わざるを得ない。現状を打破しようと、厚生労働省のカリキュラムに沿った手話通訳者養成講座が全国各地で開講されているものの、手話通訳者全国統一試験に合格するまでに数年かかり、その上、手話通訳者数が増えると、手話通訳の依頼数も増えるので、いくら手話通訳者を養成しても、ニーズに追いつかないのが実情である。

全国手話通訳問題研究会では、健康普及員制度を創設し、各支部でも健康対策部を設置する等、集団で手話通訳者の健康を守ろうと、ストレッチを取り入れたり、頸肩腕障害についての学習会を開催したりしているが、他のテーマの学習会と比べると、参加者が少なく、関心の薄さが感じられる。これでは、頸肩腕障害についての正しい理解は広まらない。


注1:横山典子(2018)「手話通訳者の健康を守る取り組み」第13回文芸思潮エッセイ賞社会批評佳作