「珍しい日本人がいる。」

という噂が学校や地域へ少しずつ広がっていった。多くの人から写真も撮られた。彼らの頭の中で、「アジア人が少ない」→「日本人は会ったことがない」→「日本人は珍しい」→「珍しい日本人がいる」という思考回路が出来ていったのだと思う。

全ての学年というよりも、全てのクラスに入って日本についての授業を持たせてもらった。限られた時間と限られた物しか持たない中で、自分にできることを考えた。また、これまでの経験も生かそうと思った。

まずは、自己紹介の中で日本のことを伝えた。映像やピクチャーカードのようなものはなかったので、口頭で伝えるのに苦労した。文字の紹介のときには、やはり予想通り以前の学校での子どもたちと全く同じ反応を返してくれた。反応のしかたが日本の子どもたちよりも早くて、ダイナミックだ。

矢継ぎ早に出される質問に一つひとつ答えるのに、つい考え込んで遅れをとってしまう。子どもたちにとっては何もかもが新鮮で、興味をそそったのだろう。

 

授業が終わると、

「今日終わったら自分の家に来て!」

と何人もの子に誘われた。歩いて行ける家には実際に行った。

「家を案内するから。」

と言って、一緒に帰る途中で、子どもたちとおしゃべりをしながら歩いた。その子たちの家に行くと、誰もいないことが多かった。

「この地域の子どもたちの両親は共稼ぎが多いのかなぁ?」

と思った。でも、その子どもたちは、自分で思いつくだけの精一杯の「おもてなし」をしてくれた。

そんな子どもたちの中に、少し太っちょの、大きな丸いめがねをかけた男の子がいた。

「ぼくの家に来て!」

とニコッと笑顔いっぱいに誘ってくれたのだった。その子は、大きな声で、

「ケルシー」

と言った。断るのも悪いかなと思い、親御さんに連絡を入れると、

「ぜひ家に来てくれ。」

ということになり、2日後、車で迎えに来てくれた。

 

【前回の記事を読む】旅の最後に、差別に立ち向かったキング牧師の生家を訪れる ただのガイドブックは、気が付けば厚く、重くなっていた

 

次回更新は6月30日(日)、11時の予定です。

 

【イチオシ記事】我が子を虐待してしまった母親の悲痛な境遇。看護学生が助産師を志した理由とは

【注目記事】あの日、同じように妻を抱きしめていたのなら…。泣いている義姉をソファーに横たえ、そして…