三 アメリカひとり旅

「もしかしたら、ここで殺されていたかもしれない。」

と思った。その後、後方の駐車場から、十発以上の銃撃戦の音が聞こえてきた。そのとき一歩も歩けず、肩にリュックを背負い、右手にスーツケースの取っ手を握ったまま、立ちすくんでいた自分がそこにいた。アメリカに来て、いちばん恐い思いをした瞬間だった。

「人生の終わりって、実は突然にやってくるのかもしれないんだな。」

という、教訓を持った。

このころ、アメリカと日本のメディアを賑わした事件が起きた。

「日本人留学生射殺事件」

一九九二年十月一七日にアメリカ合衆国ルイジアナ州バトンルージュ市の郊外で日本人留学生が射殺された事件だ。当時高校二年生だった服部剛丈さん一六歳が、英語が好きで、幼い頃からアメリカに憧れを抱き、留学生としてホームステイしていた矢先の事件だった。 

ハロウィーンパーティーで家を間違えて、

「パーティーに来ました。」

と言ったものの、その家の主から警戒され、

「フリーズ!」

と言われ、誤解を解こうと動いたところ、マグナム拳銃で射殺されてしまったのだ。そのときの日本のマスコミの反応は、「フリーズ」を「プリーズ」と聞き間違えたとか、「フリーズ」という単語を知らなかったとか、いろいろなコメントをされていたが、なんともいいようのない悲しい事件だった。そのとき、自分もアメリカの同じ南部にいた。人ごとではなかった。目頭が熱くなった。その事件の真相はわからないが、

「『フリーズ』という単語をふつう『プリーズ』と聞き間違えるのはない。」

と思う。だいたいネイティブの人は、「プリーズ」を単独では使わない。この状況では、「プリーズ」を使うなら、「プリーズ・カム・イン」というはずだ。そんな初歩的な会話は、亡くなった彼も何度となく聞いていたはずだ。「プリーズ」と聞きまちがえて動いたから撃たれたというのは不自然だ。また、「フリーズ」という単語を知らなかったからという人もいたが、

「そのころの日本人の中に、この単語の意味を知っていた人がどれほどいただろうか?」

「そうしたスラングも学ぶためにそもそも留学したのではないのか!」

と思う。別に彼に原因があるのではない。同じ境遇にいたからこそ、悲しくもあり、納得もできない出来事だった。