三 アメリカひとり旅

帰る道すがら、ある光景に出くわした。人通りの少ない路上の片隅で、一組の母と子が体を寄せ合って座っていた。彼女たちの前には、破れかけた紙に、

「ギブミー・ア・ペニー」

と書かれてあった。そこで立ち止まって、一瞬体が動かなかった。

「えっ、ここで何しているの?」

と思った。その状況が、全くわからなかった。ホテルに帰ると、涙が溢れ出てきた。その質問をもう一度繰り返した。自分なりに答えを見いだそうとすればするほど、涙が出てきた。

「なんでなんだ!」

「なんでなんだよ?」

と繰り返し、繰り返し自問自答したが、下の「自答」のほうが出てこない。「あの状況」を自分なりに分析してみた。母と子が、

「お金をください。」

と言っている。この「世界一豊かな国」といわれるアメリカで、こういう状況があるということを、実際に目の前で見ると、頭ではわかっていたことでも、心にグサッと突き刺さる。

「あぁそうなんだ。」

と一言では済まされなかった。それまでバスで「ひとり旅」をしてきて、観光に浮かれて帰ってきた自分とは、余りにも対照的な事実を突きつけられた。母と子二人、そのアメリカ国内でも一、二を争う豊かな街で、身を寄せ合って一日中そこに座り、人にお金を請うということは、

「どれほどの心の状況なのか。」

を察するといたたまれなくなってきた。二人の前に書かれていた文字には、

「ギブミー・ア・ダラー」

ではなく、

「ギブミー・ア・ペニー」

だった。「ア・ダラー」は当時約百二十円。「ア・ペニー」は一円。「百二十円」でなく、「一円」でもいいから下さいという、切羽詰まった土壇場の彼女たちの気持ちを察した。ところが、そこで立ち止まり、体を硬直させ、そのままホテルに戻った自分。

「一体なんなんだ、俺は。」

と思った。悔しくて、腹立たしくて、許せなかった。この気持ちは、以前にシカゴを訪れたときの夜に、ホテルで一人考えてことと同じ気持ちだった。その晩は、目が腫れるほど泣いた。

「これでいいのか。」

「これでいいのか。」

と、何度も自分自身に問いかけた。それは、世の中に対する疑問や怒りというよりも、自分自身に対するものだった。