ふと気づけば、大阪に来た当初、家中に飾ってあった私とママの写真は、ふと見渡すと全部、家で飼っている犬の写真に変わっていた。

全く気がつかなかった…、いつの間に…。

愕然とした。

血の気が引いた。

この人はなんなのか。

やっと巡り合えた実のママも、私の味方ではないのか。

この人も毒母だったのか。

おそらくママにとって15年間、私を引き取るという目標に向かって頑張っていて、それがゴールだったのだろう。でも、ママにとってはそのゴールに達した後の理想と現実が違っていたのだろう。

だからといってそんな考え方に変わり、私にそれを告げるなんて、ありえなかった。

普通の母親は、そんな考えに変わるだろうか? 普通の母親は、そんなことをするだろうか?

いや、する訳がない。

ママは母性本能が完全に欠落しているように見えた。実のママと出会えたのは、束の間の喜びだったのか。

私はなぜ母親に恵まれないのだろう。

母の愛を求めるのは、そんなに難しいことなのだろうか。

親の愛というのは無償の永遠の愛ではないのか。

私の目の前は真っ暗になり、気が遠くなった。ショックのあまり一週間くらい、私はママと話ができなくなった。でも、家族は、私とママしかいない。

結局達した結論は、ママが私をどう思っていようと、私は、たったひとりのママを大切にすることしかできないという想いだった。やっと本当のママと一緒になれて掴んだと思えた最高の幸せが、幻となって消えた瞬間だった。

そして私は20歳になった。成人式を迎える時、新田のお父さんから現金書留が届いた。中を開けると成人祝いに10万円入っていた。細かくガミガミうるさい新田のお母さんの目を盗んで、こっそり貯めたであろう大切なお金。

この10万円をどのくらいの期間、どんな気持ちで貯めていてくれたのかと思い、その10万円をママに見せながら「こんなに送ってきてくれた」と言って私は泣き出してしまった。

そこまでの深い事情を知らないパパ(ママの再婚相手)は「なんでお金もらって泣くの?」と不思議がっていたが、ママは「かおるが泣く気持ちはわかるわ」と言っていた。

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