遠い夢の向こうのママ 毒親の虐待と夫のDVを越えて
それからなん日かした頃、家にひとりでいた私は、なに気なく新田のお母さんからママ宛の手紙がテーブルの横にあることに気づいた。「書類送るね」くらいの内容しか書いてないのだろうと思い、ふとその手紙を読んだ。
中は、「これでやっとあなたに返したことになりますね。この15年間、辛くて苦しくて楽しい思い出などひとつもない年月でした。どうぞお察し下さい」と書いてあった。
最初、意味が全くわからなかった。なん度も読み返した。やっと意味が理解できた時の感情は、悲しいというより、虚無だった。涙すら出なかった。悲しさを通り越すと、もうそこにはなにもないのだと悟った。
そんなに新田のお母さんは私のことを忌み嫌っていたのだ。新田のお母さんから嫌われてないと信じたいという気持ちの最後の細い糸も切れてしまった。
そう、それまで苦しかったのは、お母さんを好きだという気持ちが残っていたからだったと気づいた。
ようやく、お母さんへの気持ちが吹っ切れ、完全な整理ができた気がした。
その後ママと再婚相手のパパはトンネルの会社を独立して立ち上げた。
私も短大生活を勉強に、遊びに、満喫していた。新田のお母さんとのことは辛かったけど、今は本当のママがいる、この人を一生大切にして生きてゆこうと思っていた。
ママが私を叱る時、ママが私を思いやっているからこそ怒りが沸くのだとよくわかった。新田のお母さんの叱り方とは全く違っていた。
「あなたのことを思うから怒るのよ」なんて人は信用できない。
本当にそう思っている人はそんなことは口には出さない、そう思った。
ママとはうまくいっていると思っていた。そりゃあそれまで全く違う人生を歩んで違う家で暮らしてきたのだから、すぐに全てがうまく回るわけがない。でもママはたまに苛立っていた。
一緒に外出した時に歩くペースが合わないとか、会話のリズムが合わないとか、そんな些細なこと。だがそんなことはずっと一緒に暮らしてる家族でもありうることだし、私は気にも留めてなかった。
そんな順調だと思っていた矢先、家でママとなに気ない他愛もない会話をしていると、ママが突然「あのさ、あたし、あんたのこと、生むつもりなかったんだ」と言ってきた。
突然の発言に、驚きのあまり、言葉も出なかった。
驚きなんて言葉で表せる気持ちではなかった。
衝撃だった。
「堕ろすつもりだったけど、おばあちゃんが育ててくれるって言うから生んだんだよ」と。
更に「あたしとあんたってさ、気合わんのになんであんたの面倒見てるかわかる?あたしがあんたの親だから。親が子供の面倒を見るのは義務でしょ」と言ってきた。
つまり、私の面倒は見たくないけど、義務だから仕方なく面倒を見ているということだ。