「なるほど。モテる女はつらいね」
「オッサンにモテてもしょうがないんだけどねえ。もちろん社員だから住所もバレてるわけ。ストーカーみたいなことされたらたまんないから、ここに引っ越してきたってことよ、先月に」
「前どこ住んでたの?」
「岡島町」
隣町だ。この一年七カ月、すれ違うことがなかったとしても、まあ不思議ではない。ぼくは更に探りを入れた。
「へえ。でもどうしてこのアパート選んだの?」
「不動産屋に、岡島町以外で、お手頃な値段で、生活に便利な場所がいいって言ったら、ここ紹介されたわけよ。それだけ……」
語尾がわけありげに途切れたのが多少気になるものの、もっともな理由だったから
「なるほど」と答えるしかなかった。
「ドッチ君のお店は、どこにあるの?」
今度はわたしの番、とばかりに瞳子さんが訊いてきた。
「ここからそんなに遠くないよ。南の方。五百メートルも離れてないんじゃない?」
「へえ。じゃあ今度、お酒買いに行っちゃおうかな?」
「どうぞどうぞ。でもリカー品川みたいに、タダ飲みはさせないよ」
「ちぇ、じゃあやめとこ。貧乏だから」
「今は無職ですか?」
「まあ、表向きはね。でも失業保険だけじゃあ暮らすのぎりぎりだから、バイトやってるんだ。友だちがママやってるスナックで。あ、でもこれ内緒だよ。バレたら失業保険もらえなくなっちゃうから」
唇に人差し指を当て、彼女はイタズラっぽく笑う。
ほのぼのとしたいい時間だった。ぬくぬくとコタツに潜りつつ、窓の外を眺めれば、相変わらず北風が強い。まさに砂漠のような仕事の途上にある、オアシスだ。温かい紅茶とコタツ、甘いオレオのクッキー。まったりとした愉快な会話。それだけでじゅうぶんだ。
しかしいつまでもまったりしているわけにもいかず、お暇することにした。スニーカーを履き、玄関から出たところで、見送りに来ている瞳子さんを振り返り、「どうもごちそうさまでした。体だいぶ温まったよ」
「いえいえ、大したお構いもしませんで」
「じゃあ、さようなら」
すると彼女は小さくバイバイしながら、またあの言葉を呟いた。
「じゃあまた明日、ドッチ君」
【前回の記事を読む】配達票にサインすると、彼女は思案するように僕の顔を見つめ「じゃあ寄ってく?」と…