第2章 ネクセルジャパンの誕生

失敗から商機が生まれた

ネクセルジャパンの誕生

私は日本の市場にはない電池を取り扱って、それも爆発的に売れました。電池の販売を順調に続けているうちに、二見専務はアコス社ではなくて、新しい会社で電池の販売をやろうと言いました。

社名を、台湾のNexcell Batteryを参考にしてNexcell Japanとしましたが、日本語にしたくて、台湾の社長に確認して、いいよと言われました。そこで、アコスの子会社を株式会社ネクセルジャパンに変更しました。

台湾の電池メーカーは会社を設立したとき、英語のNext Cell(次世代の電池)からNexcellを造語して、常に次世代の電池を狙って商売しようと計画したということです。私は電池だけでなくNexcellを次世代の製品と解釈して、時代に応じた様々な製品を取り扱おうと考えました。

その後、何回も新聞や雑誌に取材され、地元の放送局にも取材されて放送されました。福井の知り合いはそれを見てすごいと言いました。

二見専務とともに台湾電池メーカーを確認するために、台湾を訪問しようと思いました。

当時中国と台湾との関係はまだ微妙で審査が厳しいとのことです。台湾からもらった書類を持って、大阪台湾経済文化センターへ行って、ビザを申請したとき、面接の担当者は意外に親切で数分話し合って終わりました。しかもその場でビザをもらいました。

実は台湾メーカーは電池製造設備ラインをほとんど中国上海に移転してしまい、台湾新竹市の本社はほぼ営業の仕事をしているだけで、後は仕入れた電池の外観や電圧検査をしたり、一部のパック加工をしたりしています。一日間会社を見学した後、工場長の張肇昌さんと営業担当者Aliceと話し合いました。

翌日台北へ行って、市内と中正記念堂を見学しました。二見専務は何度か来たことがありましたが、私は生まれて初めて台湾に行きました。いろいろな珍しい果物を初めて食べました。