五年生の息子はもともと無口だったのがますます話さなくなってきた。学校からは授業中にぼんやりしているとか、友達と遊ばないなどと言われて心配である。

しずかは家でも孤独だった。

一生懸命料理を作っても、誰も美味しいと言ってくれない。黙ってテレビを見ながら食事をして、終わるとそれぞれ部屋に入ってしまう。

(何のために必死で働いているんだろう)と思うが働かなくてはとても子どもたちの塾代や本や服、お稽古事に必要なものを買ってやることができなかった。

朝、娘に「学校で教材の集金があるから八千円ちょうだい」などと平然と言われると、つい声をあらげてしまう。

「えっ? そんな急に言わないでよ。私の二日分の給料よ」なんて言ってしまってから後悔するのだった。そのときの時給は千円ほどで、一日六時間勤務だったので八千円は大きかった。

息子は息子で、サッカー教室で使っているスパイクがいつのまにか小さくなっていて足を痛めているのに言わずにいた。買ってやらなければいけないけれど、スパイクも安くはなかったので正直つらかった。

自分の給料から少しずつ「へそくり」を貯めていて、それでいつの日か自分のために憧れのブランドのバッグを買うのが夢なのだが、そのへそくりをいつも子供のために使ってしまう。そもそも、ブランドのバッグを買ったところで、それを持っていく場所もなかった。

大学時代に仲のよかった女友達は仕事をしていない人が多かった。しずかの通っていた大学はお嬢様が多く通う上品な学校だった。学業のレベルは高くはなかったが、家柄のよいお嬢様が全国から多く集まっていた。

当時、横浜発祥のトラディショナルなファッションが流行っており、チェックのスカートに横浜元町のお店の靴を履き、ブランドのバッグを持って通学している女子が多かった。

 

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