逃げないという選択

もと夫に会っただけで寝込むとは、五年で私は何も変わっていなかったのだ。夫を忘れたかったし赦したかった。でも暴力の日々を忘れることなどできない。

会ってわかったのは私がまだ暴力に怯えていることだった。そして、まだ憎んでいる。彼が夫として・親として犯した罪を。傷つけて悪かったという言葉をいまだ聞いていない。

彼は別れた後も、善人のように振る舞いながら罪を重ねている。結婚は契約だが二十年も経つとクーリングオフは成立しないのだろう。けれど、神の前で誓ったはず、「病める時も健やかなる時も共に」と。健やかな時しか共にいなかったじゃないか。共に温かい家族を作ろうと言ったのに。だから不妊治療も頑張れたのに。

別れ際、夫は私に「俺はあなたに母親にされたことの復讐をしている」と言った。狂っていた。そして宣言通り復讐を実行したのだ。弁護士が認定したDV、それはあってはならない暴力。

子どもは成長するに連れ、家族に起こったことは何だったのか逆にはっきり見えてきた。もう子どもだましはできない。子どもたちは、自分たちの特別な経験を深く理解し始めている。深く傷ついてきたことを知っている。

子どもは二人ともジェンダーも男性だ。父親を見て「あんな男にはなりたくない」と言う。そんな反面教師の教材のためにあった結婚生活ではない。

ずっと幸せな家族などない。少なくとも私の知る限りずっと幸せという夫婦を見たことがない。だが、紆余曲折あって落ち着いた夫婦の姿は見てきた。そんな夫婦になりたかった。

夫は幼児期に父親の病死後、母親から虐待を受けた。母親にそれが虐待という認識は当時なかっただろう。子どもを叩くのはしつけと思われていた時代だ。母親は結婚後にあっけなく病死した夫を恨みののしっていたという。きっと寂しくつらかったのだろう。

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