私は今日まで逃げてきました

「DVは続くよ~どこまでも~」、夫とバッタリ再会後、そう思った。

遮断機のない線路を通過する列車に突然轢かれたような感覚。DV列車の走る線路は廃線にしていなかったと知った。ずっと線路から遠ざかり身を潜めて列車が通り過ぎるのを待っていただけだ。

離れれば見なくてすむと思い込んでいた。寝込んで下痢してから、日本で一番子育てがしやすいという沖縄に移住しようか、教え子を頼って岡山に行こうか、ぐるぐる考えを巡らせた。

でも、やっぱりここで逃げずに闘うことにした。DVも児童虐待も「離す」ことしか解決の道はないが、とりあえずは離れているのだし、やっと高校に通えるようになった次男をまた転校させたくない。

そして、どんなに離れても私たちが夫婦であった事実、何よりもその間に生まれた子は憎みあう父と母を背負うことから逃れられない。そんな父母を背負う悲しみがどれほどのものか私自身が一番知っている。

そして子がどんなに懇願しても親は変われないこともわかった。でも、虐待を受けて育った私たちが親になった時には、自分らの親の呪縛を解き、子どもと真正面から向き合うことができれば変わることはできる。

それは、次男との寄り添うチャレンジで気づかされた。親業を何十年やってきたところで、それをしなければ、親になれないのだ。