第一章
5
意識が朦朧とする。誰かに腕をひっぱられた。今日子は無我夢中でしがみついた。
「おまえは自分が助かりたいがために弟を殺した。おまえは人殺しだ」
やめて、もうやめて。
「おまえのせいで父親も弟も死んだ。見ろ」
それは今日子の目の前に聡を突き出した。透明なそれの腕に抱かれた聡の体は痙攣していた。聡の目が開いた。目が合った。聡が言った。
「お姉ちゃん。どうして」
「ああああっー!」
今日子は泣いた。ごめんなさい、ごめんなさい。それが顔を近づけてきた。
「それだけではない。おまえはまた奪った。自分の欲望のためにまた奪った」
顔が変形した。顔は……。河合だった。
「おまえは夫を、父親を、妻から、子供から奪った」
河合の顔をしたそれは、今度はパパを突き出した。パパが口を開いた。
「今日子。どうして?」
今日子は言葉にならない声を上げた。涙が溢れて止まらない。
「おまえは自分のためなら何もかも奪う。おまえは悪魔だ。おまえは──」
「やめてー! パパー! 助けてー!」
大音量がした。体が地面に叩きつけられる。全身に痛みが走った。泣きながら顔を上げると──。
パパと聡が横たわっていた。目玉が飛び出し、スポンジのような舌が口から突き出ている。その表情は苦しみに歪んでいた。パパと聡は死んでいた。
自分の悲鳴で目が覚めた。動悸が激しい。閉じたまぶたの裏に、涙がにじんでいた。
今日子は身じろぎもせず、じっと横になっていた。すぐには目を開けたくなかった。涙がこぼれるのがわかっていたから。
部屋は冷え切っているのに、汗をかいていた。体からすえたような匂いがする。
夢を見ていた。とても怖い夢だ。でも思い出せない。
いや、思い出したくない。思い出すと泣いてしまう。そう思った。
ベッドに横たわったまま呼吸を整えた。指でまぶたを押さえ、ゆっくりと目を開けた。涙が一滴こぼれた。
壁に掛かっている時計を見た。午前六時二七分。閉じた窓のカーテンの隙間から朝日が射している。
起き上がろうとしたそのとき、腹部に強烈な痛みが走った。息が詰まる。喘ぎながらベッドから抜け出した。
脂汗が噴き出る。這いながらトイレを目指す。ノブに手をかけてドアを開ける──。と同時に吐いた。
吐しゃ物を床に巻き散らかす。涙が溢れる。嗚咽が止まらない。顔を伝うその涙が、悲しみなのか、苦しみなのか、今日子にもわからなかった。