とうとう残ったのは自分たちの住む家と土地だけになり、それも抵当に入った時、妻は子供を連れて出て行った。父親から受け継いだ広い土地は、十年も経たない内に全て人手に渡ってしまった。
こうして高橋の本家と、分家の婿に過ぎなかった神林とはすっかり立場が逆転してしまった。
神林は軍港の傍の三百坪の土地を戦前左右吉から八千円で買い受け、倉庫として使っていた。左右吉はその金をポケットにねじこんで大阪に行ったが一年ほどして舞い戻った。戦後彼は売った土地の値段が不当に安かったと神林に文句をつけ、まとわりつくようになった。
夜中に飲んだくれて神林の家の前でわめき散らし、門扉を揺すったり叩いたりして騒いだり、古くからの土地の人々や飲み仲間を捕まえては、神林の妻の実家は高橋の家の小作人だったとか、その連れ合いは乞食同然の分際から這い上がったとか、あることないこと言いふらし、嫌がらせをする。
しかも嫌がらせは次第にエスカレートし、禎一郎は自分の会社の若い衆を左右吉のところにやって、警察沙汰になりたくなければ大人しくしろ、と左右吉を脅さねばならなかった。
だが左右吉は火事のあとしばらくして、田んぼの畔で死んでいるのを発見された。警察は彼が酔っぱらって道端で倒れた挙句に寝込んでしまい、凍え死んだと見た。この辺りは冬は雪深く、人が踏んでこしらえた道は夜には気温が氷点下になると、氷のようにつるつるになって凍てついた。
朝方は零下四、五度になるところもある。そんなところで大酒を食らって寝込むとは自殺行為に等しい、と人々は言い合ってその事件は片付けられた。
そして禎一郎は息子、正次とはある若い女のことで確執があった。正次は彼女と結婚しようとして反対された。だがそのあとで禎一郎は他ならぬその女に手を出したというので、町中の耳目をそば立てるスキャンダルになって、親子は絶縁状態になっていた。
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