もちろん最低限、譲れないところもありました。それはバリアフリーの家であること、私たちの生活のスペースに加え娘が帰って来ることができる部屋を必ず確保することでした。それさえしっかり建設会社に伝わっていれば、後は何も心配しなかったような気がします。

私はここで暮らすようになってからほとんど毎朝、朝食の用意をする前に娘の部屋を覗きます。ピアノがぽつんとあるだけの部屋です。そのピアノの上に娘が描いた油絵を飾りました。壁には写真家星野道夫さんのパネルが掛けてあります。北極のカリブーが飛沫を上げて逆光のなか川を渡っています。

部屋の東側の窓からは、南アルプス仙丈ケ岳の優雅な姿が眺められます。その手前には、伊那富士と呼ばれている戸倉山も見えます。この部屋は我が家のご来光と月の出のビュースポットです。

北側の窓には東伊那の里山が連なっています。その中心はすそ野を広げた高烏谷(たかずや)山です。晴れの日も雨の日も、こうして山のご機嫌を窺うことから毎日が始まります。そうこうしていると、妻も起きだしてきました。

「今日はどう」

妻の声が近づいてきます。もちろん尋ねているのは私のことではなく、山の様子だということは分かっています。

「昨夜の雪で、さらに真っ白になった気がするよ」

私が呟くと、妻も杖の音をさせながら窓辺まで来ました。妻が病気になって下半身に障害が残ってからもう5年になります。

序 章    突如変化した日常 ─突然、妻が病気に─

名古屋第二赤十字病院救急救命センター(現在は日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院)

妻が突然の病魔に襲われた頃、妻は障害者共同生活援助事業所でパートの生活支援員として働いていました。その日、勤務時間中に両足の力が抜けていくような感覚に襲(おそ)われ、気分も悪くなってきたようで早退してきました。

今まで経験したことがなかったような違和感が全身にあり、その先の勤務を続けるのが無理な状態だったと後で話してくれました。

 

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