まえがき

『墓を作るなら本を残せ』

その言葉がずっと心に引っかかっていました。

出版社のオンライン説明会でその言葉を聞いた時から、これまで想像もしていなかった世界が少しずつ開かれていくような感覚がありました。そこに進んでみるのも閉ざすのも私の選択です。私はその先を少し覗き見してみたくなりました。

これまでの私の人生にも、生きる方向を変えたきっかけが何度かありました。気づかないふりをして通り過ぎたことがほとんどでした。衝動に駆られて迷い込んだ道もありました。勇気を出してちょっと踏み出したら、思いがけない生活が待っていたことも僅かですがあったように思います。

振り返れば歩んできた道すべてに愛着があります。どれもすべて私の宝です。あの言葉のその先が知りたくて、私は少しずつ自分のことを書き始めました。扉が、ゆっくり、ゆっくり開いていくようでした。

伊那谷に移り住んで

寝室の窓から今朝はモルゲンロートの中央アルプスが見えます。ただ眺めているだけで、満ちたりた気持ちになります。ここに移り住んで5年目の冬を迎えました。

「山はやはり冬がいいなあ」

独り言を囁(ささや)いている私がいました。

最近は起き上がろうか、それとももう少し毛布にくるまっていようか決心がつかず、ベッドでぐずぐずしている朝が続いています。でも、こんな時間もなかなかいいものです。

私にとって退職後には有り余る時間が待っていました。それもほとんど自分の時間です。何をしようか自分で決められるところが私には魅力です。しばらく布団の温もりと戯れながらやっと起き上がりました。

私たちがこの土地に小さな平屋を建てることを決めた時、とにかく早く引っ越す必要がありました。住宅ローンの返済計画に納得できれば、細かいことにはあまりこだわることはなかったように思います。

市の移住相談会で紹介された地元の建設会社を信頼して、ほとんどお任せ状態でした。担当者のほうがこれで本当に大丈夫だろうかと、心配してくれていたようでした。確かに終の棲家を建てるには、少し急ぎすぎだったのでしょう。でも私たちには、私たちの事情があったのです。