一 話は突然に
私は、生きていることすら億劫に感じていた。
通っていた中学校では友達の一人もおらず、できれば私と関わりたくないという周囲の「無言の圧力」にひたすら耐える日々が続いた。もうこのような生活はリセットできない。そんな状況で中学三年生になり、修学旅行を終えた直後、私は両親に「学校に行きたくない」と宣言した。
当然二人には怒られたが、翌日からは私が登校しないことについて何も言われなくなった。たが必要な勉強もせず、高校生活を送れる自分の姿もイメージできず、私は空虚な思いで卒業を待つ日々を過ごした。何かしら現状を打破しなければという焦りもあったが、どうすれば良いのか全く見えない日々が続いた。
そんな日々が続いた十月のある日、母方の祖母が実家にやって来た。実家から祖母の家までは車で二十分ほどの距離にあり、私が不登校になる以前からも祖母は頻繁に我が家を訪れていた。祖母は私が不登校になったことに対して、両親よりもずっと肯定的だった。そんな祖母に対して感情を爆発させてしまったこともあったが、それでも根がお節介焼きな祖母は変わらず私に接してくれた。そうして今日もいつもの他愛無い話が始まる。そう思っていた時だった。
「おばあちゃん、来年三月頃にお友達とイタリアに行こうと思っているの」
イタリア…? 祖母はこれまでも何度か海外旅行に行っており、私はその度に単に「ふーん」と言って祖母の話を聞くだけだった。だがこの時、私は学校に行きたくないという時以上の叫び声が、心の奥底から聞こえて来たように感じた。
何かが変わる。このチャンスは、逃したら一生後悔する。この声は無視してはならない類の声だ。私は、恐る恐る、だがすぐさま自分の思いを口にした。
「私も、行きたい」
この言葉には祖母は驚いたようだが、「本当?」と快諾してくれた。それからはとんとん拍子に事が進み、その日のうちに両親からも「行っておいで」とOKをもらえた。それからしばらくして会った祖母のお友達の方も、私に対してすぐに打ち解けてくださった。
沢山の旅行会社のパンフレットを広げながら、「どこに最優先で行きたい?」「このツアーでの食事は美味しそう?」というツアー選びの会話は、女子会さながらの雰囲気だった。
途中予約する予定だったツアーを変更するといったすったもんだがあったが、そうこうしているうちに中学を卒業する三月を迎えた。私は幸い年明け前に高校進学が決まっており、受験で張り詰めている同級生を尻目に旅に出ることに優越感を感じていた。
だがこの旅は決して優越感という言葉で語れるものではない。私の人生のターニングポイントとなるイタリア旅行の始まりなのである。