第1章 私の修行時代
山本先生、小幡谷先生との出会い
1988年5月、福井大学工学部の山本富士夫先生が水利学部に来て一ヶ月以上流体力学を講義されたとき、通訳したり、西安の周辺観光名所、例えば秦始皇兵馬俑等へ案内したりしました。
翌年山本先生がまた学校に来て講義されたときも通訳させていただきました。長らく通訳したり一緒にいていろいろ雑談したりしたことで、山本先生は私の性格や能力をよく知ってくださいました。
山本先生は若いとき日本国の卓球選手として中国国家選手と試合したと言われました。そして、福井大学でもよくスポーツをして、同じ工学部の小幡谷洋一教授と仲が良くて、バトミントンや卓球をよくやっていました。
その後の1989年10月、山本先生はまた水利学部に来て流体力学を講義されたときも、通訳しました。山本先生は11月に日本に帰ってから、私の金属研究分野に近い小幡谷先生を紹介してくれました。数回手紙での交流を通して、小幡谷先生は共同研究の形で私の来日の段取りをしてくださり、私はビザを取ることができました。
山本先生は英語が流暢で世界で有名な流体力学の研究者で、ご自分の影響力で国際的にトップクラスの研究者と学者数百人を国内外から招待して、第1回(1995年)と第2回(1997年)、2回の粒子画像流速測定法の国際会議を福井市で開催させたことがありました。
山本先生は私にいろいろ教えてくださり、来日前も来日後も大変お世話になりました。非常に感謝しております。