はじめに

私は1983年大学卒業から25年間、主に血液内科医として造血悪性腫瘍、つまり血液のがんの治療に長いこと携わってきました。それと同時に食道がん、胃がん、大腸がんなどの消化管悪性腫瘍を含む多くの悪性腫瘍の患者さんの抗がん剤治療も行ってきました。

2007年からは、がん薬物療法専門医となり、それ以来15年間「腫瘍内科医」と呼ばれています。

抗がん剤の歴史

最初の抗がん剤は第一次世界大戦で使用が始まったマスタード毒ガスから開発された「ナイトロジェンマスタード」で、1946年に初めて悪性リンパ腫の患者さんの治療に用いられました。

日本で薬剤承認を行っている医薬品医療機器総合機構によれば、現在のところ「抗腫瘍剤」として承認されているのは441種です1)

また、国立がん研究センターの2021年の報告では、海外では承認されていても、日本では未承認か適応外の抗がん剤は173剤に上り、そのなかには個人の一カ月あたりの薬剤費が1000万円を超えるものもあります2)

では、がんは抗がん剤治療で治るようになったでしょうか。そうとは言えません。手術で切除できないがんを抗がん剤で完全に治すのはとても難しいのです。

進行がんでも、抗がん剤で縮小して手術できるようになる場合や、抗がん剤単独・または放射線を組み合わせることで腫瘍が消えたように見える場合はあります。でも、その後に再発することがあり、本当に治ったと安心することはなかなかできません。

例えば、最近の日本のがん統計では肝臓や肺など別のところに転移した胃がん患者さんの5年生存率は6・6%と報告3)されています。このことからも、進行したがん患者さんに残された時間はかなり限られたものであることが分かります。

抗がん剤治療の目的は患者さんの延命だけでなく、できるだけ患者さんの生活の質を保ち、「その人らしく生ききる」のを支援することにあるといえます。

けれど、その人らしい生き方というところが難しいのです。一人ひとりの患者さんが大切にするものが違うからです。

ある人は家族が大切、またある人は仕事が大切、何かを仕上げることが大切、最期にだれかと和解することが大切、時には生きることそれ自体を一番大切に考える人もいるでしょう。

例えば、「あなたの病気は“がん”です。残念ながら治るのは難しいでしょう。これからの時間は限られていると思います」と、医者から告げられたとします。あなたは、そのかけがえのない時をどのように過ごすか、冷静に考えられますか?