だんだん変な空気になっていって、だいちゃんの真似をする男子がひとり、またひとりと増えていき、いつしか僕は男子たちの標的になっていた。教室に戻ってもドッジボールの空気を引きずったようなクラスの雰囲気に、当時の僕は押しつぶされそうだった

それが今では一番の親友になっている。それはみんな、お父さんのおかげだ。お父さんからの手紙が、僕らの関係を変えた。

あの当時、僕のお父さんは仕事の都合から単身で大阪に暮らしていた。お父さんはそんな時に、離れて暮らす僕とペンフレンドになろうと提案してきた。お父さんにはお父さんのこだわりがあったらしく、自分の名前はまだ難しいだろうが下手でもいいから漢字で書け、とか、必ず日付を入れろ、とか、いろいろうるさく注文してきて、でも僕は言うとおりにその決まりをちゃんと守った。

実際に机に向かってあらたまって手紙を書こうとすると、始めは全然ペンが動かなかった。伝えたい言葉を考えて、考えて、何度も書き直して、そうして書きあがった手紙を封筒に収めて、お父さんの住んでいる住所を書いて、切手を貼ってポストに投函する。

そんな工程を時間をかけて自分でやるうちに、僕はお父さんとなにか特別なやり取りをしているような気持ちになっていった。だけど、クラスであった嫌なことを、あの頃の僕は誰にも言えないでいた。お父さんへの手紙にも書けなかった。

このもやもやした気持ちをまわりの大人にどういう言葉で伝えていいのか、わからなかったからだ。そのうち原因不明の腹痛まで出てきたけど、保健の先生にどういうふうに痛いのと聞かれても、やっぱり「痛い」としか答えられなかった。

僕の通っていた小学校は緩やかな坂の上にあって、その坂を下って中小路に入った一軒の床屋の脇を通り抜けると、そこには小さな空き地があった。当時の僕の小さなかくれ家だった。体調不良で初めて学校を早退した日、僕はまっすぐ家に帰らず、この空き地に寄り道をした。

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