そして君夫婦が無事帰国してから旅の疲れが癒えるまでの期間、その猿轡は【知ってる佛】の口にはめ込まれたままであったことも後で知った。しかし【知らぬが佛】のとっさの営為があったればこそ、その日の夕食は、モルダウ川に架かる最も有名なカレル橋の袂(たもと)にある高級レストランでチェコ料理をふんだんに味わい、その足で対岸の古い教会に立ち寄り、たまたまその日のイベントのトランペットのソロ演奏でスメタナの旋律に酔いしれた。
次の目的地であるザルツブルグでは、ホーエンザルツブルグ城の最上階のホールで“アイネ・クライネ・ナハトムジーク”を、モーツアルトの生誕地で聞く幸せを味わいつつ、ついでに訪れた郊外のザルツカンマーグートでは、“サウンド・オブ・ミュージック”のロケ地を訪ねながら、美しいアルプスの大自然に触れた。
最終目的地のミュンヘンでは、名物の白ソーセージとザワークラウトとプレッツェルをたらふく食べ、暁の虹に乗って無事帰国することができたのも、いつにかかって【知らぬが佛】の機転が利いた行動のおかげだったと、生涯忘れえぬ旅の思い出の中で、満腔の謝意を捧げたものである。
もし、【知ってる佛】が便器をのぞき込んでいる君に、『お前様、これは明らかに腸管からの出血だよ』とささやかれていれば、君は慌てて旅を打ち切り、早々に帰国して、旅の思い出は暗幕に被われ、懐深く仕舞い込まれたに違いない。
君が帰国してから二週間ぐらいたった頃だったろうか。いきんでもいきんでも、どう踏ん張っても便が出なくなった。猿轡を解かれた【知ってる佛】に急かされて近医で内視鏡検査を受けたところ、肛門から約十五センチ入った処に、今回と同じく通せん坊をしている癌腫が見つかり、早々に紹介されて摘出手術を受けたのは、そう、十四年前、やはりこのA病院であった。
その時の手術に先立つ家族同席の病状説明の席で、主治医の部長が君の年齢を改めて聞いたあと、ぼそぼそと小声で、「もういいか」と、ひそかにつぶやいた―君はあくまで独語と解釈しているが―同席した妻の美瑛子も長男の日出夫の耳にも届いていたことを後で知った。
その時君は、その独語に反発するでもなく、なんとなく「ああそうかもしれないなー」と同調する傍らで、言葉は両刃の剣だなーとつくづく思った。