第2章 仏教的死生観(1)― 浄土教的死生観

第5節 死刑を前にした戦犯の場合

死の前の安心立命を何に求めたかを視点に、『世紀の遺書』の七〇一人の文面だけから推測すると、従容(しょうよう)として絞首刑に臨んだ者が特に多かったようだ。

花山は被告の自殺防止や刑の受容に果たした役割の点で巣鴨の米兵に感謝されている(花山信勝『平和の発見―巣鴨の生と死』中公文庫 ⑰)。そうした浄土教的死生観に立った戦犯の遺詠を二つだけ挙げておく。

ひとり来て二人帰るの嬉しさは南無阿弥陀仏を道づれにして

本川貞・岐阜県出身・元憲兵中尉・昭和23年7月、巣鴨にて刑死、41歳(前掲⑯)。

恩讐の彼方を越えて一筋に浄土の岸に行くぞうれし

田口泰正・北海道出身・元海軍少尉、昭和25年4月、巣鴨にて刑死(註:森口豁『最後の学徒兵 BC戦犯死刑囚・田口泰正の悲劇』講談社文庫 一九九六年 より)。

なお、戦犯に限らず、太平洋戦争で召集命令を受けて死を覚悟した場合(特に、米国による攻撃に日本軍の劣勢が感じられる昭和17年後半以降の召集)、次の萬田清治のように浄土信仰を強く意識することもあったようだ。彼は現・北九州市出身で結婚しないまま久留米部隊に入隊し、家族に遺書を書き送った。

昭和拾八年参月拾弐日午後九時参拾分、臨時召集令状を拝受す。万感胸に迫りて言葉なし、深く内感してまに合ってよかったと念仏をした。これで永年一刻として離れる事なく、一意専念従事して来た伝来の家業とも当分の間お別れだ。

(中略)否永遠にお別れをするかも知れないと思う時、何とも云えない気持で一ぱいだ。

(中略)弟よ、妹よ、世は一切が無常であり四苦八苦の世界だが、念仏の世界だけが苦しみの中から立ち上る不可思議な力の世界をよく問信して親様(註:阿弥陀仏)と一緒の生活を唯求めてくれ。

(中略)南無阿弥陀仏の世界を問信して呉れ。この世界でないと永遠に亦会う事が出来ない」。

この遺書が掲載されている『アジア太平洋戦争 私の遺書』(NHK出版編 日本放送出版協会 ⑱)に載る親族の説明を読むと、萬田の家族は熱心な真宗信徒だったとある。

※補註……「戦犯者とは、戦争犯罪人の略称で(中略)A・B・Cの三級に分けられる。A級戦犯者は戦争全般にたいする指導的役割について責任を問われた者であり、B級戦犯者は、投降兵の殺害、捕虜の虐待、一般市民の殺傷等、通例の戦争犯罪にたいする指揮・命令または防止義務違反の責任を問われた者であり、C級戦犯者はこれら通例の戦争犯罪の実行者としての責任を問われた者である。

A級戦犯被告二八名は東京市谷の極東国際軍事裁判所で裁かれたのにたいし、BC級戦犯被告は米・英・仏・中(国民政府)・蘭・豪・比の計七カ国により、アジア諸地域約五〇ヵ所の法廷で裁かれて、五千数百名が有罪を宣告され、うち九三七名が死刑に処せられた」(森岡清美『決死の世代と遺書 補訂版』吉川弘文館 平成5年)