三年の転勤生活が終わり、関東の自宅に戻った。子どもたちもそれぞれの学校が決まり、その後就職した。三人とも元気に働き、穏やかな日々が続いた。

長女も次女も結婚をして新しい家庭を持った。次女には男の子と、その後女の子が生まれ、私もおばあちゃんになった。孫は本当に可愛く、子ども好きな私には毎日が夢のようだった。手作りのおもちゃや小物を作り、それを喜ぶ孫の様子に、こんな幸せはなかった。一緒に歌い、絵本を読み、色んな遊びをして笑い転げた。

私も七十才になった春らしい五月のある日、大阪の父の家族より電話があった。父の奥さんも亡くなり、仏壇を片付けていたら、私に関する品物があったので、送りましょうか? という話しだった。すぐに送ってもらうことをお願いして、七十年ぶりに手元に届いたのは、若き日の母の手紙だった。

可愛い便箋に母が書いた文字が目に入った。涙で一気に読むことはできなかった。病室から父の実家に宛てた手紙で、そこには溢れる私への愛情が書かれていた。病と闘いながら、治ることを信じて私を心配する母の優しい文字でいっぱいだった。私はこんなに母に愛され、大切にされ、想われていた。

この年齢になって、長い長い年月を経て母からの最高のプレゼントをもらった。その手紙を見る度、心はとてもあたたかくなる。私には何よりも大切な宝物になった。

 

私はいつの間にか、しっかりした道を家族で賑やかに、気を使うこともなく前を向いて、歩いている。

十才の砂浜の道は、もうどこかに消えている。

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【第1回から読む】幼心に大きな波紋、祖父母と暮らしていた幼少期

本連載は今回で最終回です。