「正一さんの病状は緊急処置をしたので、とりあえず今すぐどうこうということはありません。ただし、いつまで正一さんの身体がもつのかについてはなんとも言えません。どれだけ正一さんが生きたいとがんばるかです。最後は正一さんの生命力にすべてがかかっています」
と冷静に医師が兄の状況を説明してくれた。その言葉を聞いて私の心が定まった。
「俺、今から日野多摩村に戻るよ。みんな待ってるから」
私は両親と姉に伝えた。両親は神妙な顔をしてうつむいたままだった。
「あんた、バカじゃないの。正一はすでにもうこんな状態なのよ」
姉は顔を真っ赤にして怒り出す。
「姉さんの言うこともわかる。でも『影武者』は『影武者』の仕事を全うしなきゃダメなんだ。今一番兄貴が喜ぶことをしてあげたいんだ」
私は家族にそう告げると、兄の病室に戻り
「兄貴、俺は日野多摩村に戻るからな。二人でがんばるぞ。じゃあ、俺は行くから」
そう伝えて兄の手を握った。
すると兄は私の手を弱い力で握り返し小さくうなずいてくれた。このとき、双子の兄と弟の間に何か目に見えない電流のようなものが走った。
そして、私は病院を出てまっすぐ駅へと向かった。今の自分が兄にしてあげられることは村長の「影武者」をやり切ることしかない。私は日野多摩村に戻らなくてはいけない。
私の中の不思議な使命感に火がついた。
その翌日から、私は村長の「影武者」として早朝から村の施設を精力的に回り始めた。村のおじいさん、おばあさんとできるだけ対話をし、何か要望があればどんな些細なことでも聞き取るようにした。
すぐに改善できそうなことは青山助役に報告し対応してもらった。道の駅にも毎日のように顔を出し、観光客にも声をかけた。とにかく一日一日を兄の代わりに動けるだけ動き続けた。会えるだけ人に会い交流を深めていった。村のおじいさん、おばあさんの笑顔がたまらなく嬉しかった。日々、心の中で兄に報告し「影武者」を演じ切った。
双子の心と心が日野多摩村役場と新宿の大学病院でつながっていた。私の中には、いつも兄の笑顔があり、ずっと兄の声が聞こえていた。
一ヶ月、二ヶ月と村長の「影武者」として必死に働く日々が続いた。兄も病状はよくないものの、なんとか持ちこたえ、いよいよ村長の任期満了まであと三日というところだった。
日野多摩村の山々が夕日でオレンジ色に染まる頃。ついに兄・正一の力尽きるときが訪れた。権田原正一・享年四十五歳。日野多摩村現職の村長として、この世に別れを告げた。