兄との餅つき

その正月前の暮れの事でした。帰省していた長兄は、臼と杵を見つけると「そうだ、餅つきをしよう」と、言い出しました。

土間の隅にムシロを掛けて置いてあった臼と杵の久しぶりの出番です。引っ越しの度に私達と一緒に付いてきた我が家の宝物のような臼と杵です。

土間は広く天井が無いので、餅つきには格好の場所でした。もち米は兄が調達してきました。弟と妹がはしゃぎ回る中、兄がつき私がこねどりをします。次兄も父も一緒に手伝い、お祭り騒ぎさながらの我が家でした。

「そうだ! よしよし、上手いぞー」

と大先輩の父が励ます中、臼と杵と餅の三拍子揃った、

「ぺったん!」

「ぺったん!」

の音が、薄暗い土間に響きました。それは、何とも言いようの無い久しぶりに聞く懐かしい幸せの音でした。昔父と母がしていた事を思い出し、見様見真似で立派な餅ができました。

兄の餅つきの手際の良さを見て、

「餅つきの事、よく知っているね」と私が聞くと、

「山の奥にいた頃は毎年ついていたからね」と懐かしそうに話す兄に、烏山に来てからはずっと家にいなかった兄の両親との思い出を垣間見た思いでした。

思いも寄らぬ何年かぶりの餅は、妹も弟も大喜びです。もしかしたら二人は、父と母のついた餅の記憶を忘れていたかも知れません。父が元気な頃は毎年お正月に餅をつき、五月の節句には柏餅を食べきれない程作ってくれたのです。

次の日の朝私が起きると、早起きの父はコトン・コトンと餅を切っていました。

「早く切らないと固くなるからな」

と言いながら、包丁の先を餅に当てては手前をゆっくり下げて、大事そうに切っていました。そこには、昔と変わらない父の大きな背中がありました。

兄はつけ焼きが好きでした。餅を焼いてお醤油につけて、再び焼いて乾かすと言うつけ焼きです。

「つけ焼きは二回して、狐色に焼いてね」

と正月に帰省した時母に言っていた事と同じ催促をしたので、なおさら昔を懐かしく思い出しました。私は七輪の上で餅を焼きながら、お醤油の焦げる良い香りに包まれて、数年ぶりに昔の温かな空気を感じていました。

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