飛燕日記
彼女たちは、それぞれの目標や生活のために行為と向きあい、どんな客にもその場で提供できる満身のサービスを提供する。時間とサービスをもって与えられる慈愛は、救済に近いかもしれない。人類がはじめて行った商売は売春だという。
そのころから今まで、彼女たちはその優しさを恩恵として、どれほどの男性を癒し、救ってきたのだろうか。
高校生のころ、知らない男に胸を揉まれたことがある。部活を終え、バス停から家に帰っていた時のことだ。街灯もまばらな一本道を歩いていると、背後で自転車が徐行しはじめた。チェーンの音が数珠球のようについて来ていることに気がついたが、止まって振り返るよりも家路を急ぐことを選んだ。
今でもチェーンの音を聞くと、その時の光景が脳裏をよぎる。ちょうど、街灯の真下に来た時だった。自転車に跨った男が横にやって来て、顔を覗きこんできた。真っ白な顔が暗闇に浮かび上がる。
知りあいかもしれないという希望が湧いて顔を見返したが、見覚えのない痩せた男だった。
胸を揉まれた。ブレザーの上から右胸をわし掴むように、二度。そして去って行った。なにが起こったのかわからないまま、私は歩いて家に帰り、ご飯を食べて風呂に入って寝た。
あとになって、顔を見てから胸を揉まれたのだと思った。そうした事件や、またはそれ以上にひどい事件は、彼女たちのおかげでずっと減っているのではないだろうか。彼女たちは偉大だった。
私はというと、金もとらずに、まるで目標も誇りもなく男に跨っているだけの、援助交際にもなれない人間だった。誰が名づけたのかは知らないが、それを非援と呼び、伏せ字として飛燕の文字を使った。
空飛ぶ燕も巣に納まる時が来るのかもしれないが、今ではないと感じる。
むしろ飛び立つのだ。座りこんでいたって邪魔になるだけだ。愉快な記憶の少ない人生から立ち上がり、自分の翼で清濁も善悪も入り乱れた世界に飛び立つ。私の居場所は自由の中にあった。
その週末に、はじめてバイクのうしろに乗った。パチンコ屋の駐車場にやって来たセイヤさんの大型バイクで、風になった。直線を走り出すと、とにかく速い。加速する瞬間の浮遊感がたまらなかった。全身を包む疾走感に旋風になり、部屋に着いても、しばらく春一番のままでいた。
前と同じように冷えたタンブラーで酒を飲み、マットレスに倒れこむ。今日は向かい風に乗って彼を制覇できるような気がしたが、やはり突き抜けるような勢いに翻弄されて逃げ、捕まり、絶頂を迎えさせられたのだった。