でも、夫は「どうしてこんなことになるのか」と、やはり怒ってばかりだった。子どもがパニックになるたびに、怒声をあげ、ちょっとしたことでイライラしては感情を爆発させ、「障害って何だ!」と、子どものありのままを認めなかった。
障害で困るのは、あなたではなく子ども自身なのに、なぜ誰のために、あなたは怒っていたのかと、今でも私は聞きたい。
DVの始まりと暴力の加速
坂を転がり落ちる、というのはこんな状況だろう。夫の怒りが暴走し始めた。夫婦喧嘩も絶えなくなった。暴力は、アルコール依存症と同じで、加速すると本人でも止められない。
ついに本当に些細なことで夫は「キレ」た。食事中に茶碗をテーブルに叩きつけ、フライパンを壁に打ち付けた。あまりの激昂に、外に出ようとする私の腕をつかんで玄関に投げつけた。腕は腫れあがり一か月以上、あざが消えなかった。そんな状態になってもDVだと気づかなかった。
相談した先輩助産師に言われてやっと気づいた。が、暴力の後は嘘のように優しくなり謝罪する夫を、そのたびに許した。しかし、夫婦喧嘩が何時間にも及ぶようになった。話が終わらないのだ。
夫は何時間も執拗に私を責め、机を叩き、空のペットボトルを床に強く投げつけた。威嚇するゴリラのよう。自分の言うこと聞かない子どもにも拳を振り上げて威嚇した。 それでも、穏やかな日もあったので、うっかり気を抜いてしまった。
それは、一緒に過ごした最後のバレンタインデーの夜のことだった。照れ隠しのつもりで、「夫婦の義理チョコみたいでごめんね~」と私から夫にチョコを渡した。子どもたちが「うわ~、仲いい~」とからかっていた。
夫の不機嫌な様子が気になった。その後、何分も経ってからだった。夫は食事中にもかかわらず、「義理ってなんだ!」といきなり怒鳴ったかと思うと、自分の食べかけの料理を皿ごと食卓テーブルに叩きつけた。
突然、一瞬の出来事だった。食べ終えてゲームをしていた子どもたちの顔が凍りついた。料理と食器のかけらが床に散乱した。「ごめんね。義理って言ったけど、違うの。あなたの好きなチョコだから一時間も並んで買ってきたの。義理って言ってごめん」、何度謝罪しても夫の怒りは収まらなかった。
それからは、食卓は家族が集う団らんの場ではなくなった。冷たい空気が漂う不気味な空間となった。夫は、毎日のように大声を張りあげ、子どもをかばう私を責め、拳で威嚇し、壁を蹴り、ドアを大きな音を立てて閉めた。
夫婦喧嘩の後、私のいないところで、子どもたちの目前でフライパンを捻じ曲げてみせたこともあったそうだ。暴力に怯える日々となった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。何が悪かったのだろう。いつからこうなってしまったのだろう。
幸せになりたかった。穏やかに暮らしたかっただけなのに。