【前回の記事を読む】「もう無理、限界」子育てと家事と仕事と博士論文。三足以上のわらじを履いての生活…
第三章 ぽんこつ放浪記
5.人生の転機
未入籍の事実婚から入籍:夫婦同姓になる
実は、夫とは第二子が産まれるまで入籍していなかった。事実婚だった。長男が生まれる頃、国会で夫婦別姓の法案が審議にかかるという報道に期待し、その日をずっと待った。その日はついに来なかった。
夫婦別姓で事実婚を貫く私の「こだわり」のせいで、子に不利益が及ぶことを長男の学校生活で感じた。役所からも、先生からも、あからさまに「お父さんがいるのにお母さんの姓は変です」と言われた。
それで、戸籍上、長男は私の姓だが、学校では夫の姓を名乗ることにした。子どもの方が別姓を名乗ることになってしまった。これで第二子も事実婚のままいけるのか? 姓はどうする? どちらの姓を選ぶ?
経済的状況は夫と形勢逆転。私がこだわりを捨て、夫の籍に入れば法的にも夫婦。子どもたちも安定だ。夫は一人っ子だから家系の名を継ぎたいと譲らない。
私は姓名鑑定などを色々さまよい、生まれてくる子どもの名前を先に決め、思い切って夫の姓を名乗ることにした。本当は嫌だった。結婚して離婚して再婚で、そのたびに三度も名前を変え自分のアイデンティティーが保てない。けれど子どものため折れた。
博士論文は子育てのため三年休学した。経済を夫に頼りつつ(持ちつ持たれつの関係よねと思っていた)、次男が四歳になった春、私は教育学の博士号を無事取得した。その間も短時間の非常勤の仕事は続けていた。
好きな仕事だけをしているとストレスはないが、収入もほとんどなかった。そして、経済逆転と共に、今まで順調と思い込んでいた夫婦関係の深いところでの亀裂が入り始め、表層で起きる地震のような夫婦喧嘩が、ついにプレートがずれたような大きな揺れを引き起こした。
三歳を過ぎても離乳できない次男、夫はその次男と関係をうまく築けないでいた。次男は保育園行事のたびに泣いて暴れる。甘やかす私のせいだと夫はイライラする。
それでも保育士の先生方のご配慮で保育園生活は楽園だった。でも、私はこの子は、他の子とはちょっと違うことを離乳期から気づいていた。母親の直感だった。
次男は特別な子だった
始まりは、いわゆる小一プロブレム。次男は、小学校一年生から学校に行けない日が多かった。登下校も私が付き添っていた。学習に問題はないが、集団生活になじめなく、予期不安が高く、学校のことが不安で、学校から帰ってくるなり玄関でいきなりパニックになった。
とにかく泣いて暴れて手が付けられない。受診した小児発達クリニックで、私は診断がついてホッとした。どんな子でも産んで育てるという決心は変わらなかったし、おもしろい子どもを育てることになったなあ、神様のプレゼントかなと思った。