母は突然ドキリとする本当のことを話す。私が「あまりにも甘ったれで仕方ないから下を産んだ」と言う。夜中に病院から出産のお知らせ電話で「男の子が産まれた」と聞いた父が「ばんざーい」と暗闇ではしゃいでいた姿を覚えている。
私が結婚をした時にも母から衝撃の話を聞いた。「男の子を産みたくて養豚をしているおじさんに産み分けを聞いたが、失敗して女の子だった」
あまりに強烈過ぎて詳しくは聞いてられなかった。が、この時にあの真夜中の「男の子誕生」の知らせで父が大はしゃぎしたことの記憶がつながった。
年が離れて産まれた弟は孫のように皆から凄くかわいがられた。私もたくさん抱っこしたり保育園の送迎もしていた。父母は自営の工場で働いていたので、弟がお腹を空かせて家に帰って来ると夕飯までのつなぎに焼きうどんなどを作って食べさせていた。
小学生の頃には友だちも連れてくるので友だちの分も作っていた。見た目には美味しそうに見えても料理が下手な私が作った物は一口食べると「味がしない」とか「かたい」など言われて、弟も友だちも残した。
それを見て私が「どれどれ~~」とここで初めて味見をする。今思えば人に出す前に味を見ないといけないのだが。「こりゃ不味い」と自身も味に驚く。
即席ラーメンなどは失敗しようがないので喜んで食べていた。弟はかなりのやんちゃで公園で遊んでいたかと思うと高い所から飛び降りて、腕を骨折して帰ってくるので初期の手当などの面倒も見ていた。その後にもことが起きるたびに、私が面倒を見ていた。
弟にしてみれば私が母に近い存在なのだが、いつも正論ばかりで少々鬱陶しいようだった。本当に困った時には上の姉に相談をするが、これは今でも変わらない。
今はそれぞれ家族があり一族が集まると昔の話になり、決まってあの焼きうどんの話になる。「伝説の焼きうどん」となっている。
親の介護が始まると姉や弟ともよく顔を合わす機会が増えた。私は仕事が忙しいからと同居はせずに通いで週末のお手伝い程度。申し訳ないと思い挽回も含め皆の食事の支度をして、そこでは焼きうどんも見事挽回したが、どんなに美味しく作っても「伝説の焼きうどん」は語られる。
年の離れた弟は一族の中でも潤滑油的にちょこちょこと動いて、皆との間をつないでくれる。人のためにマメに動く姿が父親に似てきたなあと感じている。