恵介が一九五七(昭和三十二)年に作った『喜びも悲しみも幾歳月』は、作詞も手がけているが、映画とともに多くの人々の脳裏に焼きついたものであった。

♪俺ら岬の 灯台守は

 妻と二人で 沖ゆく船の

 無事を祈って

 灯をかざす灯をかざす

後年の私(筆者)は、忠司の音楽会には何回か行っているが、一九九七(平成九)年一月二十五日『木下忠司を歌う』コンサートが、ピアノ・花岡千春、歌・藍川由美、トーク・黛敏郎の出演で東京文化会館小ホールで行われた。忠司が八十一歳のときである。

弟の八郎は、静岡から家族全員、妻・房子、長男・誠司、次男・廣海、長女・忍(筆者)や孫たちを引き連れて行った。入場料五千円にもかかわらず、六五〇席余りの客席は満員だった。美しく心に響く忠司の曲を愛している人間が、その頃もたくさんいたのだと嬉しかったのを覚えている。

九十代になってからも、忠司の曲を愛する二期会の声楽家や母校武蔵野音大同窓生らによって、郷里浜松や東京のホールでコンサートが企画されていた。

たくさんの曲を作った忠司が、自分の曲の中で一番好きだと言っているものを紹介しておきたい。それは、一九五四(昭和二十九)年に封切られた野村芳太郎監督、美空ひばり主演の『伊豆の踊子』の主題歌である。