人間は一生をペットとしては生きられない
「衣服を汚さないように、髪型が崩れないように、ジッとしていればお母さんが満足してくれる……」と、動かないようになってしまうのは、犬ならば上等である。人間の邪魔をしない、躾けられた犬である。
しかし、人間は一生をペットとして生きてゆくわけにはいかないのだ。
人間は、言葉を持ち、社会参加できるための知識を取り込むことが必要だからである。人間は「本能」のみに支配されているわけにはいかないからである。
肉体に備わる本能を「理性」によってコントロールできてこそ、「人間」と呼べる。理性を発達させるには「社会的規範を知る」「法を知る」……等の「知性」が必要なのである。
その「知性」は、言葉を学び、文字を覚えたり算数の計算をしたりする初歩的な学習の基礎の上に積み重ねられてゆくものなのだ。
子供をペットのように扱ってはならない。もし、飼い主が飼育を放棄したなら餓えて死ぬ他ないのがペットの運命である。
人間世界にも、幼い子が育児放棄によって餓え死にすることがある。周囲の人が気付かなかったり、うすうす感づいていても積極的に係わらなかったりする時に起きる。
成人にだって起きている。働けない上に自分という中心が弱く、社会の仕組みについての知識も少ない人が、一人ぼっちで餓えて死んでしまった例も少なくないのだ。
人間はいつまでも幼く可愛いままではない
さらに、それ以上に恐ろしいことは、可愛いためにペットのように扱ったからといって、人間はいつまでも幼く可愛いままではないのである。
どこで、どんなふうに変わっていくのか分からないのが人間だからである。
幼い時は可愛かった子が、筆舌に尽くし難い犯罪を犯す人になってしまうことがあるのだ。不登校や引きこもりで終わるなら、まだ、ましである。
引きこもりで、世の中で普通に働けていない若者(時には、壮年の人)の起こすレイプ事件や無差別殺人は、枚挙にいとまがないほどである。