【前回の記事を読む】ヘルパーさん「アルコールが見てた」一体何が!? 備後弁珍問答

筋萎縮性側索硬化症患者の介護記録――踏み切った在宅介護

命の片道切符

『読売ジャイアンツ原辰徳監督に会いに行こうツアー 二○一三 秋』

(一) 行けるかな

この先生はかねがね熱烈な当地の球団広島東洋カープの大ファンであるということをみなさんから漏れ聞いていましたので、申し訳ないと思いつつも、本当に心強い応援をいただいたと思いました。しかも祝日というのに。

いつも夫はこういう方々に恵まれているとそっと早速仏壇のご先祖様へ陰のお力をいただけたことへのお礼を報告いたしました。

この角川先生の応援に意を強くした娘は、訪問看護師管理者の神石さんにご相談をしたところ、山谷、角川先生のご賛成がいただければ、大賛成と言われたそうです。

この神石さんは、夫が日頃からとてもご尊敬申し上げている看護師さんなのです。この方からも大きな力をいただくことができ、望みはさらに大きくなりました。

このお話によって、娘と私はやっと夫にこういう案が出ているということを打ち明けました。

その瞬間の夫の嬉しそうな顔は今でも忘れません。でも、これは山谷先生の許可が出たらという条件付きであることをくどいほど話しました。

このところ何か嬉しいことがあると、大きな目をいっぱいに開いてニヤリとするようになったのですが、この時ばかりは正真正銘の満面の笑みでした。あとは山谷先生の許可を待つばかりです。

数日して、山谷先生が往診においでになりました。いつものようにジャイアンツの話になり、つい先ごろ、成績が良く、マジックが点灯した話に、先生もとてもご機嫌でした。

その機を逃さず、娘がこのたびの計画をお話しました。こちらとしては、かなりの頭脳戦です。

ところが、その場でオーケーの答が得られると思いきや、少し時間を欲しいとの保留回答でした。

その時、夫の顔をちらりと見ました。あの喜びの時の反動があるのではと少し心配になりましたが、思った割には沈んでいませんでした。

ひとまず安心はしましたが、何事にもこの人は耐えることには慣れているのだと、ちょっぴり寂しくなりました。

独りっ子の私など、自分を中心に地球は回っていると思っている向きもあるのに、夫は十一人兄弟の中に生まれて、いつも我慢することに慣らされてしまっているのだと思うと、ちょっと、愛しくなりました。山谷先生は宿題を背負ってお帰りになられました。

けれども、その後許可の返事はなかなか届きませんでした。