横殴りの大粒の雹が庁舎の窓をけたたましく打ち据えた。すぐにも強風雨に見舞われる。そう予想して彼は席を立ち、部屋の窓を閉めた。数分も待てば雨足が弱まることぐらいは承知していたものの、すぐに退庁しなければ、約束の夕膳には間に合わなくなってしまうことを気に掛けていた。
五分ほど齷齪(あくせく)して、定時の二十五分前に役所を出た彼は、早速、行きつけの酒屋に直行した。店の中に入り真っ先に向かったのは、ワインコーナーだった。人気商品が立ち並ぶ一番手前の棚から、奥方好みの甘口シャンパンを手に取った。
思いの籠もる酒瓶を抱えて店を出た時分には、雨はすっかり小降りとなっていて、大魔神の背後からは、少しばかりの明るみさえも見えてきた。
彼の自宅には、カーポートはない。五十メートルほども離れた月極駐車場からは、足を頼りにするしかなかった。
ところで、彼の住まいがある地域一帯の建蔽 (けんぺい)率は高く、少しでも居住面積を広げようと欲を起こす住民らは、こぞって私有地一杯に家屋を建てていた。となれば当然、家と家との間隔は窮屈となり、夕餉時ともなれば、臭覚を頼りに隣家の惣菜を言い当てることさえできるほどであった。
この日も狭い路地を縫うように、食欲をそそる香りがどこぞの家から漏れ伝わってくるのを知覚できた。
そしてそれが、我が家に近付くにつれ、よりはっきりとしてきたのだった。高鳴る胸のときめきをグッと堪え、高揚した面持ちのまま、玄関のドアを開けると、鶏肉でも焼いているのであろうか、何とも芳ばしい香りが迫りきて、心地良いままに彼の鼻孔を擽ったのだ。果たして、今夕、薫香の発生源は、有三の家に他ならなかったのだ。