『ゴータマは苦行で命を落とした、修行者の鑑であったと、そなたの父には報告しよう。シャカ族から堕落した沙門を出さないために。命を落とした者がカピラヴァットゥに現われることはあるまい。それでは、我等が噓の報告をしたことになる。
我等はこれから、ヴァーラーナシーのミガダーヤ(漢訳・鹿野苑(ろくやおん))に行く。そこには苦行を厭わない聖者が集まっていると聞く。
堕落した者と一所では我等も堕落する。我等は、ゴータマが堕落したバラモンを超え真のバラモンになるであろうことを、片時も疑ったことはなかった。ゴータマの教えを聞くことが我等の喜びの筈であった。』友は去り、わたくしは一人になった。」
「わたくしはネーランジャラー河で体を洗った。瞼に、カピラヴァットゥで見る、あの遠く高く輝く雪山が浮かんできた。昔から、雪山を見るとわたくしの心は躍った。コンダンニャたちが去り彼等に気を使うことはなくなった。苦行をしなければならない、という思いからも解放された。もうこれからは自分の心に聞けばいいのだ。
わたくしはピッパラ樹の下に吉祥草を敷き坐った。わたくしはほとんどここを動かなくてよかった。スジャータが毎朝、乳粥を持ってやってきてくれたからである。
堅実な世界はどこにもないということは、わたくしはカピラヴァットゥに居た時から気が付いていた。安全な場所、安心して住める所など、どこにもない。どこにいても、いつ病に取り付かれ、死がやってくるか、人々は不安に戦(おのの)いている。また、一つとして同じ姿を留めているものはない。自分のものと思っていても、時と共に過ぎ去ってゆく。
そして、自分が得たいと思うものは、なかなか手に入らない。苦しみを減らすには、得たいという思いを減らすしかない。得たいという思いがなければ、得られないという苦しみもない。それもこれも、わたくしがここに居て、そう考えるからである。わたくしがここに居るのは、自分の命と引き替えてまで、母がわたくしを生んでくれたからである。…」