大金を落とす
母が帰って来るといつも米屋に行き、
「娘が来たら米を渡して下さい。後日私が払いますから」
と頼んでいました。私が困らないように、母が段取りを付けていたのです。それでも中学生の私には、母の気持ちが分かっていても、お金を払わずにお米を頂く事はどうしても出来ませんでした。
ところが、財布が空で困り果てていると、不思議な事にいつも、母から仕送りの現金書留が届くのでした。母には私の財布の状況が分かっているようでした。
その頃私は夜内職に励んでいました。四枚の花びらの中心に小さな穴があり、そこに糊を少し付け、マッチ棒の形の軸を通すのです。花はその時によって、ピンクや紫や白などでした。それが何の花なのか、出来上がりの花はどんな姿になるのか、分からずに作っていました。
回収に来る係の人は、
「器用だね。とても綺麗に出来ているよ」
と褒めてくれました。五十センチ四方の箱一つで十円位になり、一晩に一箱仕上げるのが精一杯でした。大人になりアジサイの花を見た時、
「内職で作っていたのは、きっとこの花だ」
と初めて気づいたのです。この内職で生活が楽になった記憶は無く、半年続けた位で長続きはしませんでした。
そんなある日のこと、弟に可哀想な思いをさせた事がありました。夕方食事の準備をしている時、弟におつかいを頼んだのです。
弟は快く引き受け走って出て行きました。ところが、いつも通りの道を通らずに近道をして、崖の藪の中を突き抜けて行ったのでした。程なく弟は泣きながら帰って来ました。そして握り締めていたはずのお金を、
「どこかに落としちゃった」
と、信じられない言葉が聞こえたのです。
「ええー、どうしたの!」
と、状況も分からないまま、すぐ探しに行きました。日暮れ時でどんどん陽が落ち辺りは暗くなってしまい、見つける事は出来ませんでした。
お札でしたので大変な金額でした。次の日も、再度探しに行きましたが無駄足でした。その時私は、日頃のきつい口調で弟を責めたに違いありません。弟はいつも私の手伝いをしてくれましたが、遊び過ぎてお風呂を焚くのを忘れたりする事がありました。そんな時私は、強い口調で当たった事があったからです。
上の兄が帰っていた時もそうでした。私は兄に
「もっと優しく言ってあげた方がいいね」
と言われたこともあったのです。
また弟は友達から
「お前んちの姉ちゃん怖いね」
と言われていたようでした。私も夢中で家事をこなしていたので、弟の気持を考える余裕が無かったのかも知れません。あるいは、知らず知らずに自分のストレスのはけ口が弟になっていたのかも知れません。弟は何を言われても、じっと下を見て聞き流していました。そしてその直後には、何も無かったように、
「姉ちゃん、腹減ったよ」
「おにぎり作ってくれる?」
と話しかけてくるのでした。弟はいつも私の乱暴な言葉を軽く受け流して、私を助けてくれたのです。