そう思ったときには、すべてが遅かった。母はパソコンの使い方は一通り知っていたが、データを完全に抹消する方法は頭から抜けていたのだろう。その一枚の写真には、キスをするふたりの女性の姿があった。ひとりは母で、もうひとりはミユキさんだった。それは友達同士や欧米の人々がするような戯れのキスではなく、恋人同士がするものにしか見えなかった。

私の脳内に、様々な困惑が渦巻いた。母とミユキさんの関係、母の本心。憶測が狭い部屋を行き交う中、写真の中の母は、私が今まで見たことがあるどの母よりも美しく輝いていたことだけは、たったひとつの真実だった。混乱と形容しがたい感情が私の心身を包み、その夜は眠ることができなかった。ショックのあまり、涙すら流せなかった。そして私は、次の日にあの写真をゴミ箱フォルダからも完全に削除した。

次の日の朝、文化祭がんばってね、と笑う母に、ありがとう、と目を合わせずに返事をした。その声は自分でもわかるほど重みのないものだった。

「美夏はさ、就職とかどうするの」

その日の大学の講義が終わった後の夕方十八時のファミリーレストランで、恋人の慎二はふたりで分け合う用にオーダーしたフライドポテトの山を崩しながら、私にそう問いかけた。私が大学三年、慎二が卒業を間近に控えた大学四年の一月のことだった。

彼との初めての出会いは、大学に入学してからすぐに行われた、新入生向けのサークル交流イベントの飲み会だった。彼は違う学部の一学年上の先輩で、そのサークルに所属している人だった。背は平均並みで、顔もこれといった特徴はないが、口調は明るく饒舌で、絵に描いたような大学生というイメージの人だった。

「一年生だよね、名前なんていうの?」

酒が進むとますますその陽気さが増すのか、彼は一年生と思われる学生、主に女子の隣の席を渡り歩いていた。案の定、私の隣に座ったときも、軽快な口調で私のプロフィールを聞いてきた。

「社会学部なのか、俺は経営学部だよ」

卒業したら親の会社継がなきゃいけないからさ。

そう言って、彼は酔っぱらい特有の近寄りがたいオーラを発しながら自分の身の上話を始めた。しかし私はそれに一ミリも興味が持てず、新入生は格安で参加できる飲み会とはいえ、この場所に来てしまったことに心底後悔していた。

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