春子さんには申し訳なかったですが、私は春子さんのご主人の作品などどうでもよかった。《聖月夜》をもう一度読み返してみたい気持ちでいっぱいだったのです。そして、簡単に綴られた小冊子の中ほどのページに《聖月夜》はありました。
月の夜、松林で一人の少女に会った……
何度読んでみても、それ以上でもそれ以下でもない詩です。
「ちょっと佐伯さん、聞いてるっ?」
私は自分でも、知らず知らず声に出してその詩を朗読していたようです。
「なあに? その詩が佐伯さんの探している人に関係あるの?」
春子さんが私の顔を覗き込んできました。
「はい。この《聖月夜》という詩の作者を探しているのです。他のどの作品にも作者の名前が記載されているのに、この詩にだけは作者の名前が書いていないのですよ」
「どれどれ」
春子さんは私の手から第七節の同人誌を取り、詩を読みながらしばらく何かを思い出しているようでした。
「……この詩を書いた人、もしかしたらうちの主人が知っていた人かも」
「えっ、本当ですか!?」
私は叫びに近い声を上げていました。
「うん、確か三十年前くらいに、この町に取材に来た雑誌かなんかの記者さんがいてね。たまたまウチの店に食事や休憩に来ていて」
私の形相があまりに切羽詰まっていたのか、春子さんは少し笑いながら、
「その頃の私は二人の息子の子育ての真っ最中で、店はほとんど主人一人で切り盛りしていたの。で、よそから来たその記者さんとしょっちゅう顔を合わせるうちに、旦那とその人、だんだん親しくなっていったみたいで」
「その記者という人は男性でしたか?」
「もちろんそうよ。そうね、今の佐伯さんくらいの若い男の人だったと思う。私は会ったことないんだけれど、主人から時々話は聞いていたから」
「その人がこの詩を書いたのですか?」
「確かその記者さんが地元の同人誌にも興味を持って、この町に来た記念に自分も何か載せたいって頼んできて、主人が世話役さんに特別に頼んだようなことを言ってた気がするなあ」
暗闇の中で全く見えなかった糸が次第にその姿を現し、私の指に絡まって、出口の方へと少しずつ引っ張っていってくれるようでした。道しるべとなるギリシア神話のアリアドネの糸のように。