このことによる家族を巻き込んでの人生の下り坂に遭遇したことが和子の境遇の様変わりではなかろうか。さらに、会社経営に失敗した後も彰一は素封家(そほうか)で政治家の家庭に生まれ育ったせいか、債権者からの要求があっても、世を忍んでの生活を強いられた中でも、ひとたび触れた豪奢な生活レベルを変えることをしなかった。和子の苦労は酸鼻を極めていた。

昭和三十年代に始まる高度経済成長を多くの国民が享受したにもかかわらず、渉太郎の家はその恩恵を受けることなく、下り坂の急勾配を一気に落ちていくといった皮肉な運命に翻弄された。

渉太郎が小学校の高学年の頃であった。

家族は洋館をイメージした大きな屋敷を借金のかたに取られ、アパートの一室で身を寄せ合いながら、明日が来るとも知らずの生活を余儀なくされた。以前のように華やいだ生活から一変した。

豪華な家具、三種の神器の冷蔵庫、洗濯機、テレビや愛犬の一切を失い、当たり前の結果であるが住み込みのお手伝いを置くことなどの空想を峻拒(しゅんきょ)し、衣食住にも事欠く暮らし向きで、そこには口を糊する生活が待っていて、家族もろとも千尋(せんじん)の谷底に追いやられてしまった。

運命が呪わしかった。幼心にも哀しみを覚えた。

それでも、和子は微笑みを浮かべながら、

「耐えられないような試練にあわせることはないのよ」

と、渉太郎を諭した。

「耐えられないような試練にあわせることはない」

渉太郎は瞳の奥の言葉を心の中で呟いた。

「耐えられるように、逃れる道も備えてあるのよ。卑屈にならず、いつも心に太陽を持ちなさい」

渉太郎を抱き寄せながら和子は耳元でささやいた。