中学二年生になった亜希子は母佐知子に対して、相変わらず寂しく切ない感情を抱いていた。しばらくして、また郁子と遊んでくれるようになっても、それは変わらなかった。
この頃の亜希子の変化といえば自室で楽しみながら何かをしていることで、郁子にはそれも嬉しかった。だからといって、その邪魔が許されるはずもなかった。亜希子の様子をちょくちょく覗きに行っては、仕舞に怒髪天を食らう郁子は、姉亜希子の以前とは違う変化を感じ取っていた。
郁子が亜希子とまた遊べなくなったのは姉妹の父邦夫が在宅介護となった、郁子が九歳の春からだった。
父邦夫は検査に行った病院でパーキンソン病だという診断を告げられると、早々に職場を引退してしまった。当時、ミミズが這ったような字しか書けなくなった父邦夫は、この病に早くから薄々気が付いていた。共同経営者だった母佐知子が一人で会社を引き継ぐことになったのも急なことで、それが相当不満だったのだろう。随分と後になっても誰彼お構いなしにこの時の不満を口にするのは、ある意味仕方のないことだったのかもしれない。
父邦夫は子どもだからと誤魔化したり侮ったりせずに、一つ一つを丁寧に教えてくれる人だった。そんな父邦夫がいつも家にいてくれることに、郁子は喜びを感じていた。郁子が長年不思議に思ってきた人の感情に聡い自分についても、納得のいくように説明してくれるのが何よりだった。郁子は日々のどんな些細なことも、父邦夫に話した。
その頃の話題といえば、亜希子が心に大切にしまっている宝物のことだった。幼さ故に解らないことがありながらも、郁子は案外克明に十五歳の亜希子の事情を把握していた。まだ三十代の父邦夫にとってそれが亜希子の親密なボーイフレンドという事実は、受け入れ難いもののようだった。