挫折
そして、とうとう、破綻の日はやってきた。役職が上がると職場での役割が増大し仕事に割く時間が多くなる。一方、母の介護も母の病状の進行により、介護に要する時間も多くなる。その狭間で私ができることは睡眠時間を削ることだけだった。
保健師統括になり、睡眠時間が2時間くらいになって半年が経過した頃のことだ。
その日は、朝起きた時からいつも以上にふわふわと視界が揺れていた。薬を3倍量服用して仕事に出掛けた。というのも、すでにその頃には通常量の薬では全く効かず、以前に飲み残した薬の残薬を使って2倍量の薬を飲まないとめまいが収まらない状態になっていたからだ。
その日は、何とか仕事をやり終え、小刻みに震える視界で車を運転して実家にたどり着き、介護を終えて自宅にたどり着いた。
その夜、恐ろしいほどのめまいと不快感に襲われた。座椅子の背もたれに上半身を預けたままで眠ることにしたが、目を開くと焦点が定まらずに視界がくるくると回り出した。乗り心地の悪いノンストップのメリーゴーラウンドに乗り続けているような状態が丸3日続いた。
その後は、少しめまいは軽くなったが消えることはなかった。いつもいつもくるくると視界が揺れ、眼振のせいか世の中が小刻みに揺れ続けた。
そのうち、自分自身の生活がめまいのために維持できなくなった。
立ち上がる、トイレに行くなどの移動動作にも支障が出た。少しうつむくだけでも激しく視界が揺れた。トイレには這って行くしかなかった。自分の身の回りのことすらできなくなった私には当然、車の運転ができるはずもなく、人の手を借りて介護に通う日が続いた。
一番、私が恐れていた父の不安は一時期、父の血圧を170以上に押し上げ夜も眠れない状態にさせたようだが、何とか私が毎日、人手を借りながらでも今までと変わらず介護に行くことでその不安は鳴りを潜めていった。
めまいは常態化し、この状態が完治する未来は全く見えなかった。私が仕事を続けてゆけるという未来も全く見えなくなった。そして私は退職を決意した。