夏の空模様のように

長男は夏休み期間の登校日。次男は保育園。夫の面会帰りの昼下がり、三男をおんぶして神社につっ立ってる私がいた。手術前に祈願しに、四人で数々の神社に行ったがその日はおぶった三男と二人で近隣の神社を訪れていた。

手術は、受傷部位の浮腫がおさまり、手術に耐えられる体力とコンディションにならねば手術日も決まらず。なんとも表せない感情になおさら神社に神頼みをしてこのまま奇跡が起きて歩けたらなぁと神社の屋根と空に視線をやった。晴れている。無条件に私たちを明るくジリジリと照らす太陽。蝉の声も響く。

しばらくして神主さんから声をかけられた。大まかな事情を話しているときに涙が止まらなくなり無理して笑顔を作ろうとすればするほど、口元がピクピクと引きつる。そんな異様な姿を今思い返すと、あのときの精一杯の行動は参拝、それしかなかった。起きた事実を受け止められないで話せなくても察してくださった。

本当に生気を失った人間に見えていたのだろう。それでもうん、うん、と聞いてくださった神主さんを、私は一生忘れない。

台風の過ぎ去ったあとの折れた木のような私の精神に対し、神主さんのあの頷きや笑顔。とにかく夫が生きていることへの一瞬の安堵感。けれどまた、台風が来る。今からいずれ訪れる手術への恐怖感とあわよくばの期待。まだ手術にも行き着かない焦燥感と絶望感。

それは夏の空と似ていた。夜中に台風が来て、家屋をガタガタ揺らし、夜明けとともに雀の声が響く朝。葉っぱから落ちる雨滴。何事もなかったように、朝日が昇る、台風のあとの朝のよう。台風が過ぎ去るとまたカンカン照りの太陽がジリジリとアスファルトを熱くする夏と同じ。こんなめまぐるしく変わる天候。

 

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