【前回の記事を読む】「どこから笑いに変えたら微笑むメンタルになるの」夫のあまりの姿を前に言葉にならなくて…
第一部 私と家族と車イス
運命の真実
しばらくして、救急室からストレッチャーで搬送される夫でもあり父である彼。大きな体がストレッチャーから落ちそうになるなか、息子たちが、
「おとーさん!!!」と叫んだ。
今思うと、子どもたちは、私以上に心をえぐられたかもしれない。変わり果てたお父さんを目の前にして……。
その後は記憶が乏しい。
どうしたもんや……と母といつのタイミングで話しただろうか……。
誰と何を話したかかなり記憶に乏しい。帰宅が遅れた。車の運転中、涙で前が見えづらい。母が当日に駆けつけてくれたかどうかも覚えていない。その2日後だったかと思う。実弟と母が駆けつけてくれたのは……。
帰り道に母がねぎらい、入ったのはファミレスだったかもしれない。周りの笑い声や会話すべてが遠くに聞こえる。まるで耳に貝がついているよう。見たくないし、聞きたくない、母の何かを食べて帰ろうとの提案に、息子たちさえ食べられたらと思いながら入店した。やはり、私は食べられない。ただただ、彼は点滴なのに私は食べてもいいの……?と思ってしんどかった。
数週間何を食べてもティッシュを噛んでいる感触。何が食べたいというよりもただ、生かされてるだけの人。母でもない、妻でもない。ALLゼロ女。実母の優しさは「あんたのあたわりやちゃ(運命づけられているんだ)」と励ますこと。実弟は自分の大切な人と重ね合わせて同じ身になったらと涙を流してくれた。自分を誰も責めることなく、彼を責めることなく生きていたらまたいいことがあるからと言ってくれた。不器用な実姉は年賀状で体は壊すなと書いて送ってくれた。
実弟は我が子を抱っこしに自宅にふらりと寄ってくれた。実祖母はわんわんと泣いてくれて、なかなか電話を切らなかった。実父は触れてこなかった。なんの前触れもなく突然起きた出来事にそれぞれの角度から見守ってくれた中。身内には多大な心労を与えてしまった時間だった。