塾のバイトは週に三回入れている。大学の講義を終えるとそのまま塾に向かった。その日は何枠か担当していたので、少し腹に入れておこうと思い近くのコンビニに寄る。水と昆布のおにぎりを買って店内を出ると
「せんせっ」
急に肩をポンポンッと叩かれた。振り向くとそれは塾の生徒だった。翠がいるはずもない。がっかりする自分に驚いていると
「何そのがっかりした顔〜」
間髪入れず言われる。
「先生わかりやすっ」
何も言い返せず、ああ、とだけ言った。この子が僕に好意を持ってくれているのは知っている。自惚れかもしれないがその辺は鈍感ではない。視線や声の抑揚や空気感でそれは感じる。
「学校の帰り?」
当たり障りないことを聞いて会話を繋げた。僕は相手が勘違いしないよう気をつける。生徒であり未成年であり、こじれた時に何もいいことはない。誘えば簡単についてくるだろう。体の関係に持っていくのだって簡単だ。でもそんなことはしない。倫理的にということより、そんなことをしても翠はなんとも思わないからだ。
「へぇ〜、でその子どんなだった?」
とか平気で聞いてきそうだし、あるいは興味を示さない。興味を示さない……それが一番きつい。僕の行動は翠にとって何の影響もないということになる。女子生徒はもっと会話を続けたい様子でそこに留まろうとした。黒髪で清潔な出で立ち、成績もいいらしい。僕なんて構っていないで早く帰ればいいのに。
「先生今から授業あるからそろそろ行くね」
「あっそうだよねー」
「じゃあね〜」
少し日に焼けた健康そうな手を小さく振って女子生徒は行ってしまった。僕は歩道に立ったまま一瞬考える。もしあの女子生徒に彼氏ができて腕を組んで歩いていたとしよう、それを見ても僕は何も感じないだろう。僕にとってそれはなんの影響も及ぼさないのだろう、と。そう思うと悲しい気持ちになったが、避けられない事実は受け入れるしかなかった。
昨日から翠は海外旅行で、ここ日本にはいない。誰と一緒にいて何をしているのか知らないまま僕は日常を過ごしている。