マザー・テレサとの出会い:雷に打たれる

そんな時に、『マザー・テレサあふれる愛』(沖守弘、講談社、1981年)の写真集の写真展覧会に、母が気分転換に連れて行ってくれた。そして一枚の写真の前に釘付けになった。それはインドの市街地の路地裏、ゴミ箱から取り出されたミイラ化した乳児の写真だった。雷に打たれたような衝撃。涙がこぼれて止まらず、

「こんな理不尽なことがあっていいのか」、

そして、

「私はインドに行ってマザーの手伝いがしたい、看護師になりたい!」

と強く思った。その場で写真集を買い、著者のサインもいただいた。何としても看護師になる、インドに行く! 目標が決まった。

恋する勢いで猛勉強を始めた。そして目標だった大学に合格した。

大学でボランティア活動から学生運動へ、そして家出

大学では、寝たきり老人を訪問する大学生ボランティア活動に参加し、土曜日、デートではなく在宅で寝たきりになってしまった老人を訪問していた。学童保育ボランティア班もあったが、私は実は子どもは苦手だった。

寝たきり老人となって経過が長い方を毎週訪問していた。後になって、『「寝たきり老人」のいる国いない国』(大熊由紀子、ぶどう社、1900年)を読んで知ったが、私もその時に、日本は傷病を負った老人を寝たきりにさせてしまう国と知った。

血の気の多かった若者の私は、すぐに社会改革運動思想と共産主義について学ぶ活動にはまり、社会改革を叫ぶシュプレヒコールの波に混じった。