居候のカラス
この物語は、純二が小学校1年生の頃、春から夏にかけて体験したささやかな出来事です。
時代は第二次世界大戦が終わって間もない時期のことです。当時、山田家は父の和夫さんの仕事の関係で、大学の豊中キャンパス内の教職員宿舎に住んでいました。キャンパスは待兼山という小高い丘陵地に広がっていて、中心の建物は北校と呼ばれ、そこから下に見える池を隔てて大学会館の建物がありました。第二次世界大戦後、教職員宿舎が足りなくて大学会館も一部が宿舎として使われていたのです。
山田和夫さん、その妻の春子さん、長男で小学校4年の一郎、二男で同じく小学校1年の純二、幼稚園に通っている三男宏の家族5人も住んでいました。山田家は2階で、間取りは玄関を入ると台所があって、次の板間は大きなテーブルのある食堂です。窓際に子どもたちの勉強机が並ならんでいます。壁際には戸棚があって、食器の他に日用品など何でも収納していました。次の部屋が畳敷の居間 兼 寝室です。押入に全員の布団が収納されています。
どの部屋にも床間が作られていましたが、タンスやおもちゃ箱や子どもの遊び道具置き場として使われていました。その日の午後になって、家族の皆みんながテーブルに着いてお茶を飲んでおやつの煎餅を食べていると、窓を“ガタガタ”と揺らす音が聞こえました。皆が振り向くと、何と今朝のカラスが、窓枠を突っ突いて揺らしているではありませんか。外はもう薄暗くなっています。
父の和夫さんが「入れてあげなさい」と言うので純二が窓を開けると、カラスがピョンピョンと入ってきました。
「“お腹が減ったのですよ。何か食べ物を下さいな”と言っているようだよ」と和夫さんが言うので、純二が、台所からお皿にお昼の残り物を持ってきてテーブルに置くと、ピョンピョンとやって来て、美味しそうに食べています。
「うちで飼ってみようか」と父の和夫さんが言うと、母の春子さんは「面白そうね」と即座に賛成しました。一郎と純二と宏も「飼おう、飼おう」と嬉しそうに口々に言いました。
カラスはご飯を食べ終わると、鋭い目つきで目配りをしながら自在に動き回って、何かを探しているように見えます。
「カラスは居場所を探しているようだわ」と春子さんがつぶやくと、「うちでカラスのお世話をするのだったら、どこかで鳥かごを探してこよう」と言って父の和夫さんは出掛けていきました。しばらくして、和夫さんは茶色の錆がいっぱい出ている飼育かごを持って帰ってきました。
「錆だらけで扉も壊れかけているが、使えそうなので持ってきた」と言うと、春子さんは、「大丈夫なの? それにしても汚いね」と言いました。
「廃棄物の置き場にあったものだ。だから問題ないよ」と応えると、和夫さんは、「外で洗ってくる」と言って飼育かごを持って外へ出ていきました。