さらに、我が子供たちが社会へ出て自立し、その後しばらくしてから結婚し、今は孫も産まれ親としてじいじとして、それまで以上に重たい責任が、まとわり付きだしたように感じている。

ただ、親となった子供たちとその孫たちにしっかりと向き合うことがなければ、背中なんぞを見せられるものではないこともじわじわと迫ってきた。

その後、孫も段々と大きくなり、子供たちが家族で遊びに来た時に、孫の相手を当然ながらするようになってきた。と同時に娘や息子たちが我が子と接するのを見ていることで、昔の自分が子育てをしていた頃の思い出が自然と蘇ってきた。

その記憶の蘇りで、ここまで子供に接するような子育てを自分はしてこなかった、ということを子供たちからマザマザと見せつけられる結果になってしまった。

今更ながら情けないが、自分の子供たちから子育てを教わる羽目になってしまうとは、考えも及ばなかったことである。ある意味親としてとてもショッキングな出来事となってしまった。

その後は、来るたびに子供たちから重く受け止めさせてもらっている親となってしまい、本当に恥じ入る気持ちでいっぱいに。この気持ちは、子供たちには面と向かって話せないが、本を通してなら言える。

「あ~あ」と大きなため息を噛み殺しながら自嘲も伴った孫との日々となってしまった。まさか、こんなことになるとは、努々(ゆめゆめ)思うこともなく、どうもこうもヤルセナイ気分にさせられている。

裏を返せば、このことは自分が父親としてやるべきことを殆どやってこなかった証左だろう。戒めと後悔と申し訳なさと、グチャグチャに意識が混濁したような孫守りとなっていることに「よっぽど酷かったんだなぁ」と正直な気持ちに。

親として三人の子供に恵まれながらまともな子育てができなかった。今更ながら振り返ってみると、子供の目線で見ることなく子供の気持ちを理解することをしていなかった。このことに尽きる。つまり、可愛がる気持ちがなかったという親として核になる部分が、欠落していた不適格な人間であったということになる。